平台貝塚
座標: 北緯35度25分22.7秒 東経139度39分07.0秒 / 北緯35.422972度 東経139.651944度
平台貝塚(ひらだいかいづか)は、神奈川県横浜市中区本牧緑ヶ丘37付近に所在する縄文時代前期の貝塚。間門平台貝塚(まかどひらだいかいづか)[1]、または間門貝塚、真門貝塚とも[2]。
概要
[編集]横浜市中心街の南、山手・本牧地区に広がる標高50メートル前後の台地上の、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校南側付近に所在する。
考古学者の酒詰仲男により1938年(昭和13年)に報告され[3]、古くから存在が知られていたが、1966年(昭和41年)の緑ヶ丘高校卒業生による発掘調査[4] 以降、神奈川県埋蔵文化財センター[5] や横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター[2][6] による複数回の調査が行われ、斜面地に広がる貝層のほか、縄文土器(諸磯式土器)、石器、動物骨(魚類・哺乳類)・貝製品(貝刃・貝輪)などが出土した。
脚注
[編集]- ^ 神奈川県立歴史博物館 2008 pp.40-41
- ^ a b 『埋文よこはま』19号(PDF版)
- ^ 酒詰 1938(1)-(3)
- ^ 岡野 1973
- ^ 神奈川県埋文センター 1993
- ^ 横浜市埋文センター 2012
参考文献
[編集]- 酒詰仲男 1938年「神奈川縣下貝塚調査概報:「貝塚遺蹟による古代聚落の研究」の一部」『人類学雑誌』53号(1)日本人類学会 NAID 130003726555
- 酒詰仲男 1938年「神奈川縣下貝塚調査概報:「貝塚遺蹟による古代聚落の研究」の一部」『人類学雑誌』53号(2)日本人類学会 NAID 130003726559
- 酒詰仲男 1938年「神奈川縣下貝塚調査概報:「貝塚遺蹟による古代聚落の研究」の一部」『人類学雑誌』53号(3)日本人類学会 NAID 130003726563
- 岡野隆男 1973年『本牧緑ケ丘平台貝塚』 NAID BN13798774
- 神奈川県埋蔵文化財センター 1993年『平台貝塚:横浜市中区本牧緑ケ丘 横浜緑ケ丘高校敷地内試掘調査』NAID BN10619981
- 神奈川県立歴史博物館 2008年『神奈川県貝塚地名表』pp.40-41
- 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 2009年『埋文よこはま』19号 pp.1-3
- 横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター 2012年『中区No.12遺跡(平台貝塚)本発掘調査報告:中区本牧緑ケ丘地内道路整備工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』NAID BB12052705