平野弥十郎
平野 弥十郎(ひらの やじゅうろう、1823年3月10日 - 1889年10月6日)は、江戸時代の下駄商人、幕末・明治初期の土木請負人。
人物
[編集]江戸の浅草の雪踏仲買商飯田家に生まれ(幼名源八郎)[1]、質の悪い下駄を安く売って生活を支えていた。天保14年(1843年)江戸京橋の雪踏下駄商平野家の婿養子となり、2代目平野弥一(弥市)を名乗る[1]。
27歳ごろから土木工事の請負をするようになり、31歳で請け負った薩摩藩の芝田町屋敷台場築造工事で名を上げ(品川台場、1854年)、神奈川台場工事(1858年)、築地ホテル館建築工事(1865年)、東京~横浜間鉄道工事(高輪築堤、1869年)といった日本の近代化に関わる大工事を請け負った[1]。49歳で開拓使御用係となり、弥十郎と改称[1]。3年で開拓使を辞め、東京田町で新聞売捌店を営んだが、1年ほど神奈川県庁に勤めたのち、56歳で札幌の開拓使工業局土木課兼営繕課に勤める[1]。翌年キリスト教徒となり、札幌独立基督教会にも参画した[1]。60歳から3年間、農務省北海同事業管理局札幌工業事務所技手を務め、息子の伊藤一隆が会頭として発足した札幌禁酒会の役員となり、生涯を終えた[1]。
伊藤一隆は彼の四男であり、次女の千代は大島正健と結婚した[1]。翻訳家・推理作家の松本恵子は孫。タレントの中川翔子は来孫に該当する。
平野弥十郎を扱った作品
[編集]- 梶よう子『我、鉄路を拓かん』PHP研究所、2022年、320頁。ISBN 978-4569852881。…高輪築堤の土木工事を描いた歴史小説。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 平野, 弥十郎 著、桑原真人・田中彰編著 編『平野弥十郎幕末・維新日記』北海道大学出版会、2000年3月10日(原著1823年)。ISBN 978-4-8329-6091-6。