座間入谷
座間入谷 | |
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大字 | |
座架依橋。右奥の駐車場方向が座間入谷の領域。 | |
北緯35度29分15秒 東経139度22分30秒 / 北緯35.4875度 東経139.375度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 座間市 |
郵便番号 | 252-0000 |
市外局番 | 046(厚木MA)[1] |
ナンバープレート | 相模 |
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座間入谷(ざまいりや)は、神奈川県座間市の大字。丁番を持たない単独町名で、郵便番号は252-0000[注釈 1]。当地域の世帯数および人口は非公表。
地理[編集]
市内北西部、相模川中流左岸の沖積低地に位置する[2]。現在の領域は相模川河川敷の数箇所の小区画のみで、大半が多目的広場として整備されているほか、一部に畑も見られる。
北から東にかけて座間、南で新田宿と接し、西は相模川を挟んで厚木市関口と向かいあっている(特記ないものは座間市)。
歴史[編集]
かつては現在の座間市北部から東部にかけての広い範囲に広がっていたが、昭和30年代頃から地番整理が行われ、大半が新しい町として分離している。
地名の由来[編集]
座間入谷村として分村する以前の座間村入谷ノ組から。名主の居住地の字「入谷」に由来[2]。
沿革[編集]
- 江戸時代
- 1868年(明治元年) - 座間入谷村、神奈川府を経て神奈川県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により高座郡座間村大字座間入谷となる。
- 1937年(昭和12年)12月20日 - 座間村が町制施行し、高座郡座間町となる。
- 1941年(昭和16年)4月29日 - 座間町が上溝町・相原村・麻溝村・新磯村・大沢村・大野村・田名村と合併、高座郡相模原町となる。
- 1948年(昭和23年)9月1日 - 高座郡相模原町から座間町が再度分離する。
- 1953年(昭和28年) - 大字座間新戸を編入。
- 1959年(昭和34年) - 一部が相模台[注釈 2]および立野台として分離。
- 1961年(昭和36年) - 一部が相武台[注釈 3]として分離。
- 1963年(昭和38年) - 一部が緑ケ丘として分離。
- 1970年(昭和45年) - 一部が明王として分離。
- 1971年(昭和46年)11月1日 - 座間町が市制施行し、座間市となる。
- 1974年(昭和49年) - 一部が広野台2丁目および小松原1丁目・2丁目として分離。
- 1975年(昭和50年) - 一部が座間1丁目・2丁目として分離。
- 1976年(昭和51年) - 一部が入谷1丁目〜5丁目[注釈 4]として分離。
- 1977年(昭和52年) - 一部がひばりが丘1丁目〜5丁目として分離。
交通[編集]
地内を通る鉄道・バス路線はない。最寄駅はJR相模線相武台下駅。
道路[編集]
- 神奈川県道42号藤沢座間厚木線
- 座架依橋 - 地内を通過する区間は全て橋梁上である。
施設[編集]
- 相模川多目的広場
- 相模川グラウンド
- 水と緑の風広場
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典14. 神奈川県』角川書店、1984年。ISBN 4040011406。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
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厚木市関口 | 座間 | |||
座間入谷 | ||||
新田宿 |