建始 (慕容詳)
建始(けんし)は、五胡十六国時代、後燕の皇帝を僭称した慕容詳により使用された元号。397年5月 - 7月。
397年、北魏の拓跋珪が後燕首都である中山を包囲した際、慕容宝は部下を率いて籠城し、永康の元号を398年まで使用していた。しかし北魏軍が退却すると、後燕の貴族であった慕容詳が南燕皇帝を称して自立、建始と改元している。慕容詳は後に殺害され、代わって慕容麟が自立し、延平と改元した。
西暦・干支との対照表
[編集]建始 | 元年 |
西暦 | 397年 |
干支 | 丁酉 |
参考文献
[編集]- 『中国歴代年号考』李崇智(中華書局 2004年)
関連項目
[編集]- 他王朝の建始
前の元号 永康 | 中国の元号 後燕 | 次の元号 延平 |