張泰玩

張泰玩
장태완
生誕 1931年9月13日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚北道漆谷郡
死没 2010年7月26日(78歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 大韓民国陸軍
最終階級 少将
除隊後 国会議員
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張 泰玩[1](チャン・テワン、ちょう たいがん、: 장태완1931年9月13日 - 2010年7月26日)は大韓民国軍人であり、国会議員も務めた。漢字表記は張泰琓とも[2]本貫仁同張氏[2]カトリック教徒[2]

粛軍クーデター当時はクーデター反対側の代表的な人物の1人であった[3]

来歴

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慶尚北道漆谷郡で農家の3男3女の次男として生まれる。

朝鮮大学校法学科を卒業し、ソウル大学校経営大学院最高経営者課程を修了した[2]

1950年陸軍総合学校朝鮮語版11期として任官する。

1972年に第5軍団参謀長、1973年に首都警備司令部参謀長、1975年に第26師団長、1978年陸軍本部教育参謀部次長と軍歴を重ねた。

朴正熙暗殺事件後の1979年11月首都警備司令官に任命され、12月12日鄭昇和陸軍参謀総長を拉致した粛軍クーデターでは陸軍本部(正規軍)側の強硬派主力となるも、全斗煥国軍保安司令官が主宰する秘密組織「ハナ会」メンバーの裏切りにあい、国軍保安司令部に身柄を拘束された。当時首都警備司令部所属の将校450人のうち、張に同調したのは約60人にとどまった[4]1980年に予備役編入される(少将)。その後は西氷庫での取り調べを経て、2年間の自宅軟禁に遭った[3][4]

軍を退いた後、韓国証券電算会社社長(1982年[5])・会長、ル・メイエル株式会社会長を務めた[2]

韓国民主化後、1993年には民主党の設置した「12月12日クーデターに関する事実調査委員会」に参加した[6]1994年 - 2000年には在郷軍人会会長となる[5]

2000年には金大中政権与党の新千年民主党に入党。4月第16代総選挙にて、全国区から出馬し、国会議員に当選した。2001年には国会報勳特別委員長となるが、2004年次期総選挙には不出馬を表明して政界から引退した。

2010年7月26日 ソウル峨山病院で肺がんにより死去[4][6]、満78歳没。告別式には新軍部所属で粛軍クーデター時には張に反旗を翻した元国家安全企画部長の張世東、元国防部長官の李鍾九朝鮮語版などが訪れた[6]。元大統領盧泰愚も弔花を送った[6]

人物

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第26師団長当時の麾下の兵士によると、張は兵士たちの体力鍛錬に非常に熱心で、よく厳しい訓練をさせたが、張本人も兵士たちと一緒に訓練を行った。また、張の師団長就任後、食事トイレなどの状況もだいぶ改善した。これらのことにより、兵士としては信頼と尊敬の念を持たざるを得なかったという[7]

親族

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張の父親は粛軍クーデターのニュースを聞いた後、「昔から国に謀反がある時、忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない」と言い、断食により1980年4月18日に死去した。

妻との間に1男1女をもうけたが[4]、1982年1月9日、ソウル大学校1年生の息子は家を出た後に行方不明となり、1か月後に祖父の墓の近くで変死体で発見された[3]。妻は張没後の2012年1月17日に遺書を残して自宅アパートから投身自殺した[4]

関連作品

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韓国で放映されたドラマ『第5共和国』では俳優・声優として知られるキム・ギヒョン朝鮮語版が張泰玩を演じているが、風貌と貫禄・演技(粛軍クーデターを取り上げた回では、全たちハナ会グループが集まる首都警備司令部30警備団長室に電話をかけ、ハナ会との応対の末に兪学聖に「戦車でお前らの首を吹っ飛ばしてやる」と言い放って電話を切った)から、映画『スター・ウォーズ』にちなみ、「張フォース」[8]なるキャラクターが誕生し、コラージュや漫画などでネタにされている。ただし、張本人はこのドラマを「全斗煥を劉備関羽のように扱っている」という全斗煥美化物であると批判した[5]

なお、粛軍クーデターの際、張本人が電話でハナ会の面々と丁々発止のやり取りをしたのは事実であり、その通話記録や録音も残されている。ただし、実際にはハナ会側で応対した順番は『第5共和国』などで描かれたように黄永時から兪学聖ではなく、その逆であった。[要出典]

粛軍クーデターを描いた2023年の韓国映画『ソウルの春』では張泰玩をモデルとした「イ・テシン」が主人公の一人として登場し、チョン・ウソンが演じている[9]

著書

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  • 『12・12クーデターと私』〈12·12 쿠데타와 나〉(1993年、ISBN 8973570013[10]

脚注

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  1. ^ 정무위원회 회의록. 제222회(1차) / 대한민국 국회”. 국회법률전자도서관 (2001年6月14日). 2020年1月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e 장태완”. 대한민국헌정회. 2020年1月23日閲覧。
  3. ^ a b c “오직 진상 밝히려 살아왔다”” (朝鮮語). 시사저널 (2006年5月16日). 2023年9月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e 김윤나영 (2012年1月17日). “장태완 전 수경사령관 부인, 유서 남기고 투신 자살” (朝鮮語). Pressian. 2023年9月27日閲覧。
  5. ^ a b c 장태완 "'제5공화국'서는 전두환이 유비·관우?"” (朝鮮語). 朝鮮日報 (2005年5月16日). 2023年9月27日閲覧。
  6. ^ a b c d ‘12·12 쿠데타’맞선 참군인(12・12クーデターに立ち向かった真の軍人)” (朝鮮語). ソウル新聞 (2010年7月28日). 2023年9月27日閲覧。
  7. ^ 김정민(キム・ジョンミン) (2005年6月8日). “우리힘 닷컴 - 참 군인, 장태완 장군에 대한 추억”. 우리힘닷컴. 2023年9月27日閲覧。
  8. ^ 장포스” (朝鮮語). 광주드림 (2010年8月8日). 2023年9月27日閲覧。
  9. ^ 崔盛旭 (2024年8月29日). “映画「ソウルの春」が描く韓国現代史の暗部 民主化を阻んだ軍事クーデター、一夜の攻防”. 朝日新聞Globe+. https://globe.asahi.com/article/15401721 2024年8月31日閲覧。 
  10. ^ 국회전자도서관 - 12·12 쿠데타와 나 / 張泰玩 著” (朝鮮語). dl.nanet.go.kr. 2023年9月27日閲覧。