彼杵町
そのぎまち 彼杵町 | |
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廃止日 | 1959年5月1日 |
廃止理由 | 新設合併 彼杵町、千綿村 → 東彼杵町 |
現在の自治体 | 東彼杵町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 7,372人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 東彼杵郡川棚町、千綿村 佐賀県藤津郡嬉野町 |
彼杵町役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡彼杵町蔵本郷 |
座標 | 北緯33度02分13秒 東経129度55分02秒 / 北緯33.03703度 東経129.91714度座標: 北緯33度02分13秒 東経129度55分02秒 / 北緯33.03703度 東経129.91714度 |
ウィキプロジェクト |
彼杵町(そのぎまち)は、長崎県東彼杵郡の中部にあった町。1959年(昭和34年)に南隣[1]の千綿村と合併し、東彼杵町となった。
現在の東彼杵町の北部にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡彼杵村が単独村制にて発足。
- 1898年(明治31年)1月20日 - 九州鉄道長崎線(のち日本国有鉄道大村線)が開業し、当村域に彼杵駅が設置される。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 彼杵村が町制施行。彼杵町となる。
- 1943年(昭和18年) - 小音琴郷の一部を川棚町に編入。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 千綿村と合併して東彼杵町が発足し、彼杵町は自治体として消滅。
首長
[編集]- 村長
- 初代 島津良知:1889年5月 - 1892年5月
地名
[編集]郷を行政区域とする。彼杵町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は彼杵村)
- 大音琴郷(おおねごと)
- 川内郷(かわち)
- 口木田郷
- 蔵本郷
- 小音琴郷(こねごと) - 1943年、一部を川棚町に編入。
- 坂本郷
- 宿郷(しゅく)[2]
- 菅無田郷
- 中尾郷
- 法音寺郷(ほうおんじ)
- 三根郷
産業
[編集]漁業および農業を主産業とする。漁業では江戸期から明治期にかけて捕鯨の拠点となった。農業では江戸期より続く茶業が盛んである。
交通
[編集]鉄道
[編集]- (川棚町) - 彼杵駅 - (千綿村)
名所・旧跡
[編集]- 彼杵川古墳群
- ひさご塚古墳
脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1959年1月15日
- ^ 隣接する千綿村に同名の郷が存在する。東彼杵町発足後、彼杵宿郷に改称。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、388-417頁 。 - Google ブックス