徳末知夫
徳末 知夫(とくすえ ともお、1914年8月22日 - 2006年1月29日)は、日本の実業家。帝人代表取締役社長を務めた。
人物・経歴
[編集]日本統治時代の台湾で生まれる[1]。1938年神戸商業大学(現神戸大学)卒業、帝国人造絹絲入社。戦時中は陸軍主計大尉。戦後復帰し[2] 1957年帝国人造絹絲テトロン販売部次長。1959年帝国人造絹絲テトロン販売部長。1961年帝国人造絹絲企画部長。1962年帝人ニューヨーク出張所長。1965年帝人取締役。1969年帝人常務取締役[3]。1980年から帝人代表取締役社長を務めた[4]。それまでの拡大路線で積み上がった不採算事業の整理を実施。一気に二十件以上の事業や海外案件から撤収するとともに、医療・医薬事業を次世代の成長事業として位置づけ、現在の事業構造の原型を築いた[5]。当時の記者会見で経営の若返りの重要性を説き、事業に目処の立った三年余りで社長を退任。後任には11歳離れた岡本佐四郎氏を指名し、サポートが終わったとみるや会長職も2年で退いた[6]。1985年より相談役。世田谷区の自宅で心不全たのめ死去。享年91。パレスホテルでお別れの会が行われた[1][7]。アメリカ文学者の徳末愛子日本女子大学名誉教授は妻[8]。
脚注
[編集]- ^ a b 徳末知夫氏死去/元帝人社長 四国新聞社2006/02/06 18:15
- ^ 徳末知夫とは コトバンク
- ^ 帝人第103期有価証券報告書 東京大学
- ^ 「55年内地 10311−1 徳末知夫(とくすえ・ともお) 徳末知夫・帝人社長」 共同通信
- ^ [追想録]日本経済新聞2006/3/17
- ^ ゴーン元会長逮捕で問われる「経営者の賞味期限」 日本経済新聞2018/11/30
- ^ 【訃報】徳末知夫氏(元帝人代表取締役社長)死去 薬事日報2006年02月08日
- ^ 徳末愛子さん死去/日本女子大名誉教授 四国新聞2007/10/17 16:54
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