悼公 (滕)
悼公 | |
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滕 | |
公(周制における爵位は子) | |
王朝 | 滕 |
在位期間 | 前539年 - 前514年 |
都城 | 滕 |
姓・諱 | 姫寧 |
諡号 | 悼公 |
没年 | 紀元前514年 |
父 | 成公 |
悼公(とうこう、? - 紀元前514年)は、春秋時代の滕の君主。姓は姫、諱は寧。
生涯
[編集]紀元前539年1月、滕の成公が死去する[1]と、悼公が後を嗣いで滕公として即位した。紀元前538年夏、悼公は楚・蔡・陳・鄭などの諸侯らと申で会合した[2]。紀元前529年秋、悼公は晋・斉・魯・宋などの諸侯らと平丘で会合した[3]。紀元前517年夏、悼公は大夫を派遣して晋・宋・衛・鄭などの諸侯の大夫らと黄父で会合させた[4]。紀元前515年秋、悼公は大夫を派遣して晋・宋・衛・曹などの諸侯の大夫らと扈で会合させた[5]。紀元前514年7月癸巳、悼公は死去し[6]、頃公が後を嗣いで滕公として即位した。
脚注
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