成田町
なりたまち 成田町 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 | 新設合併 成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、遠山村、豊住村 → 成田市 |
現在の自治体 | 成田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 印旛郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 13,765人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 公津村、八生村、中郷村、遠山村、富里村 |
成田町役場 | |
所在地 | 千葉県印旛郡成田町大字成田 |
座標 | 北緯35度46分36秒 東経140度19分08秒 / 北緯35.77661度 東経140.31878度座標: 北緯35度46分36秒 東経140度19分08秒 / 北緯35.77661度 東経140.31878度 |
ウィキプロジェクト |
成田町(なりたまち)は、千葉県印旛郡(下埴生郡)にかつて存在した町である。
現在の成田市は1954年に新設合併で誕生したものであり、本町とは異なる自治体である。
地理
[編集]- 現在の成田市の南西部、旧成田市の南部に位置している。
- 村域は台地と平地が入り組む谷戸が多い地形になっている。
歴史
[編集]→詳細は「成田市 § 歴史」を参照
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、成田町、郷部村、寺台村、土屋村が合併して下埴生郡成田町が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 下埴生郡が印旛郡に編入。
- 1932年(昭和7年)7月1日 - 印旛郡富里村大字日吉倉の一部(論田、苅分、申新田、中弘、向山、大田、橇田)を編入(現不動ヶ岡)。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 公津村、八生村、中郷村、久住村、遠山村、豊住村と合併し、成田市を新設。同日成田町廃止。
変遷表
[編集]1868年 以前 | 明治19年 | 明治22年 4月1日 | 明治30年 4月1日 | 昭和7年 7月1日 | 昭和29年 3月31日 | 現在 | |||
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下埴生郡 | 成田村 | 成田町 | 成田町 | 印旛郡 に編入 | 成田町 | 成田町 | 成田市 | 成田市 | |
郷部村 | |||||||||
寺台村 | |||||||||
土屋村 | |||||||||
印旛郡 | 日吉倉村 の一部 | 富里村 の一部 | 富里村 の一部 | 成田町 に編入 |
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 4,549 |
1904年(明治37年) | 4,892 |
1917年(大正 6年) | 6,657 |
1932年(昭和 7年) | 9,140 |
1950年(昭和25年) | 13,765 |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1932年(昭和 7年) | 1,908 |
1950年(昭和25年) | 2,974 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201