文同
文 同(ぶん どう、拼音:Wén Tóng、天禧2年(1018年)- 元豊2年(1079年))は、北宋の文人画家。字は与可。号は笑笑先生・錦江道人。子は文朝光・文葆光・文垂光・文務光(蘇轍の娘婿)。
人物
[編集]梓州永泰県の出身[1][2]。湖州刺史という地位にあったので「文湖州」と呼ばれる。もっぱら墨竹画を描いた[1]。また詩文をよくし、政治家としても活動した[1]。皇祐元年(1049年)に進士となり、地方官等を歴任する[2]。絵画としては同時代に活躍した蘇軾と親交があり、彼と共に墨竹画の流派である「湖州竹派」の祖として知られる[1][2]。元豊2年(1079年)、陳州にて死去[2]。
作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d Wang, Bomin; 王伯敏 (Heisei 8 [1996]). Chūgoku kaigashi jiten. Kōichi Endō, 遠藤光一. Tōkyō. ISBN 4-639-01385-X. OCLC 35998519
- ^ a b c d 中国文人画的開拓者、北宋四川塩亭人文同『墨竹図』 唐林(四川省社会科学院) 2022年3月13日閲覧。