斯波蕃

斯波蕃

斯波 蕃(しば しげり / しげる[1]1843年2月3日天保14年1月5日)- 1907年明治40年)3月9日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の武士華族男爵。初名は津田 正邦(つだ まさくに)。  

経歴

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加賀藩津田正矩の長男として生まれる。文久元年(1861年)、家老津田内蔵助正行(1万石)の養嗣子となり、藩主世子前田慶寧に側近として仕える。8月、慶寧に従って上洛し長州征討の中止に尽力するが、翌年7月に禁門の変が勃発する。慶寧は禁裏守護の任を正邦に任せて退京したため、藩主名代として仙洞御所の警備に当たった。

慶応元年(1865年)に家老職に任じられる。慶応4年(1868年)の北越戦争には家士106名を率いて出兵し、越後長岡城攻防戦では藩兵の総指揮をとるなど陸奥へと転戦する。会津若松城陥落後に藩へ凱旋した。 翌明治2年(1869年)、金沢藩少参事、権大参事に任じられる。

のち、遠祖斯波高経にちなんで斯波蕃と改名する。明治33年(1900年)、戊辰戦争の功により男爵位を受爵する。明治40年(1907年)、鎌倉の別邸にて病没、 享年65。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』上巻、718-719頁。
  2. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
斯波(蕃)家初代
1900年 - 1907年
次代
斯波忠三郎