智永
智永(ちえい、生没年不詳)は、中国の南朝陳から隋にかけて活躍した僧・書家。会稽郡山陰県(現在の浙江省紹興市柯橋区平水鎮)の出身。本貫は琅邪郡臨沂県。俗姓は王氏(琅邪王氏)、名は法極、永禅師と号した。書聖王羲之の五男の王徽之の六世の孫にあたる。
業績
[編集]兄の慧欣(王孝賓)と一緒に出家し、南朝陳には山陰の永欣寺(もとの名は嘉祥寺)に住していたが、隋になって長安の西明寺に移り住んだ。家伝した王羲之の書法を最も能くし、なおかつその書体を研究し、筆致は円勁にして秀潤、とくに草書に優れた。永欣寺の閣上に30年閉じ籠って『真草千字文』800余本を臨書し、江東(長江下流域)の諸寺にそれぞれ1本を施入したという。智永の『真草千字文』は、日本に伝わる真蹟本として著名である。文として『書(題)右軍楽毅論』等がある。
真草千字文
[編集]智永の『真草千字文』には、関中本(かんちゅうぼん)と宝墨軒本(ほうぼくけんぼん)の2種の刻本のほか、日本に真蹟が1本ある。個人蔵。国宝。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『日本と中国の書史』 - (社)日本書作家協会発行 木村卜堂著 - 1971年