木下利徽

 
木下利徽
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 天明6年12月1日1787年1月19日
死没 嘉永4年9月13日1851年10月7日
改名 定太郎、利徽
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
備中足守藩
氏族 木下氏
父母 木下利彪松平親盈
利愛ら6男7女
利徳
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木下 利徽(きのした としよし)は、江戸時代中期から後期にかけての大名備中国足守藩9代藩主。足守藩木下家10代。

略歴

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8代藩主・木下利彪の長男として誕生した。幼名は定太郎。

寛政11年(1799年)8月9日、利彪の隠居により家督を継いだ。同年12月25日、備中国賀陽郡上房郡内の領地22200石余を陸奥国伊達郡信夫郡内に移される。享和2年(1802年)2月18日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。父以上に病弱だったために政務が執れず、文化2年(1805年)7月29日に伊勢国津藩藤堂家から利徳を養嗣子として迎え、同年9月5日に隠居した。隠居後も幕閣や諸藩主とのやり取りは続いていたようであり、いくつかの書状が確認されている。

十代で病弱理由に隠居した割には長命であり、嘉永4年(1851年)9月13日、66歳で死去した。

系譜

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子女は6男7女