木暮安由
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基本情報 | ||||
本名 | 木暮 安由 きぐれ やすよし | |||
生年月日 | 1985年2月23日(39歳) | |||
身長 | 185cm | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会 群馬支部 | |||
ホーム | 前橋 | |||
期別 | 92期 | |||
脚質 | 自在 | |||
アマチュア経歴 | ||||
2000-2002 | 群馬県立前橋工業高等学校 | |||
登録地 | ||||
2007- | 群馬 | |||
■最終更新日:2024年6月23日 ■テンプレートを表示 |
木暮 安由(きぐれ やすよし、1985年2月23日 - )は、群馬県前橋市出身[1]の競輪選手。日本競輪学校第92期生。師匠は須田知光(競輪学校第27期生)。
来歴
[編集]群馬県立前橋工業高等学校在学時の2002年に高知国体の自転車競技・少年エリミネーションレースで優勝。競輪学校の在校競走成績は第7位(28勝)。
2007年7月22日に前橋競輪場でデビューし、初戦は5着、翌日の同場で初勝利を挙げた。2008年には4月から8月にかけて19連勝を達成。2009年(失格)および2010年(5着)には2年連続でヤンググランプリに出場した。
2012年、地元前橋で開催された第55回オールスター競輪でG1初優参(落車失格)[2]。開設記念は向日町記念(2013年)など3勝している[3]。
特徴
[編集]かつては「キグレ大サーカス」と呼ばれ、危険な走りの自在選手として名を売った[4]。関東同地区でも番手を競ることがあり、高松宮記念杯(2018年)決勝では、弟子である吉澤純平の番手を回る武田豊樹に競り込み、物議を醸した[5][6]。同じく同地区の諸橋愛との折り合いの悪さも知られていたが、平原康多の仲裁により和解している[7][8]。
参考文献
[編集]- 第92期生 新人選手通信簿 - KEIRIN.JP
脚注
[編集]- ^ S級1班の木暮安由が一般女性と結婚 [日刊スポーツ 2015年7月8日10時33分 紙面から]
- ^ “イー新聞特設サイト 2012オールスター競輪”. e-SHINBUN(イー新聞). 2024年6月23日閲覧。
- ^ “木暮安由が番手差し通算V3達成”. 週間レース社 (2013年10月20日). 2024年6月23日閲覧。
- ^ “【寛仁親王牌】気配が戻ってきた木暮安由”. netkeirin (2021年10月22日). 2024年6月23日閲覧。
- ^ “関東で師弟分断!木暮安由が武田豊樹と競る/岸和田”. 日刊スポーツ (2018年6月17日). 2024年6月23日閲覧。
- ^ 山田裕仁 (2018年6月23日). ““帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.26”. チャリロト Perfecta Navi. 2024年6月23日閲覧。
- ^ “記者席ホットライン 岸和田 G1 高松宮記念杯”. アオケイ(競輪ニュース). 2024年6月23日閲覧。
- ^ “平原康多を先頭に関東一枚岩!! ~豊橋競輪場~”. 日刊プロスポーツ新聞社 (2020年5月30日). 2024年6月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手プロフィール - KEIRIN.JP