木津川計
木津川 計(きづがわ けい、1935年[1]10月22日[2] - )は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)[3]。
雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。
略歴
[編集]高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業[4]。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。
20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う[5]。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという[5]。
1964年、大阪市立大学文学部社会学科卒業[1]。家業の印刷会社を営むかたわら[6]、1968年4月26日[7]、33歳で雑誌『上方芸能』を創刊。1999年に同誌編集長を退任[7]。後任は森西真弓。
研究者としては、「都市と文化の関係を究明すること」をテーマとした[8]。
2006年に芸能に関するひとり語りの舞台「木津川計の一人語り劇場」を立ち上げ[1]、2022年まで公演を行った[9]。
『上方芸能』
[編集]創刊当初の『上方芸能』は落語会「上方落語をきく会」(朝日放送主催の同名の会とは関連がない)の会報という位置づけであった[10]。
1974年より[7]自主編集体制に移行し、内容を落語中心から能・狂言、歌舞伎、文楽、日本舞踊、上方舞、邦楽、現代演劇、歌劇などの京阪神地域の芸能全般を幅広く扱う路線に切り替える[10]。
発行テーマは創刊から100号までは創刊から100号までは「伝統芸能の発展のために」、101号以降は「芸能文化のひろがる都市に」[11]。
2016年5月、読者の高齢化などで200号をもって終刊した。[12]
教職歴
[編集]- 1986年-2001年 立命館大学産業社会学部教授[6]
- 2001年-2006年 立命館大学特別任用教授[6]、現在は名誉教授
- 2007年-2008年 和歌山大学経済学部客員教授[6]
- 2008年-2012年 和歌山大学観光学部客員教授[6]
- その他、日本福祉大学、神戸大学、大阪市立大学、大阪音楽大学大学院など[6]で非常勤講師を歴任。
大学教員としては、京都・大阪・神戸の『都市格』や九鬼周造などについて、ユーモアを交えて講義した。ときには上方落語を披露して、学生の拍手で講義が終了することがあったという[要出典]。
審査歴
[編集]- 2004年-2005年 日本民間放送連盟賞中央審査委員会審査委員長(エンターテインメント部門)[6][1]
- その他、文化庁芸術祭賞選考委員[1]、芸術選奨文部科学大臣賞選考委員会主査[1]、上方お笑い大賞審査員[6]、泉大津市オリアム随筆賞選考委員[13]などを歴任。
受賞歴
[編集]その他の役職歴
[編集]- 兵庫県川西市生涯学習短期大学学長[1]
- 大阪創造都市市民会議 設立発起人[15]
人物・理論
[編集]- ジャーナリストの萩原遼は実弟。
- 木津川は、大阪人のユーモア感覚に対する感慨とあこがれを折りに触れ述べている。
- 学生結婚を行った際、挙式を8月6日に開いた。友人の「8月6日を再び繰り返すな!」という二重の意味(広島市への原子爆弾投下と、離婚・再婚の戒め)を込めた祝辞に「魔術師のよう」と感心したという[16]。
- 自身のペンネームの由来について、会う人に「人に出会う、そのキッカケが大切」「気ィつかうばっかりでっしゃろ」、あるいは怪我をした際に、「何が木津川計や、キヅダラケやないか」などと詮索されるにつけ、言語遊戯のセンスに感じ入ったという[5]。
著書
[編集]単著のみ記す。
- 『文化の街へ 大阪・二つのアプローチ』(大月書店、1981年、ISBN 427230058X)
- 『編集長のボロ鞄 雑誌『上方芸能』の16年』(日本機関紙出版センター、1983年、ISBN 488900209X)
- 『上方の笑い』(講談社現代新書、1984年、ISBN 4061457160)
- 『含羞都市へ』(神戸新聞出版センター、1986年、ISBN 4875214480)
- 『生活文化の視座』(日本生活協同組合連合会、1988年)
- 『大阪の曲がり角』(東方出版、1989年、ISBN 4885912296)
- 『いつか麒麟に出会う日よ』(かもがわ出版、1991年、ISBN 4876990085)
- 『可哀相なお父さんに捧げる哀歌 熱狂の時代と父権の歴史』 (法律文化社、1991年、ISBN 4589016095)
- 『花曜日の薔薇色 エッセイアンソロジー』(『上方芸能』編集部、1992年、ISBN 4888530033)
- 『人間と文化』(岩波書店、1992年、ISBN 4000036602)
- 『〈趣味〉の社会学 豊かな趣味人の復権へ』(日本経済新聞社、1995年、ISBN 4532161541)
- 『生き甲斐のゆくえ 定年から大往生へ』(かもがわ出版、1997年、ISBN 4876993270)
- 『優しさとしての文化』(かもがわ出版、2002年、ISBN 4876997098)
- 『上方芸能と文化』(日本放送出版協会、2006年、ISBN 4140842059)
- 『都市格と文化 大阪から全国へ』(自治体研究社、2008年、ISBN 4880375128)
- 『朗読・語り文化の地平』(上方芸能出版センター、2011年、ISBN 朗読・語り文化の地平)
- 『ことばの身づくろい』(上方芸能出版センター、2012年、ISBN 4888530165)
メディア出演
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 木津川計プロフィール 雑誌『上方芸能』
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.540
- ^ 財団法人岸和田市文化財団寄附行為 2006年2月27日改正
- ^ http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50753990.html
- ^ a b c 『上方の笑い』、p.10
- ^ a b c d e f g h i 文化・社会部門 木津川計 全国日本学士会
- ^ a b c d 雑誌『上方芸能』創刊からのあゆみ 雑誌『上方芸能』
- ^ 『上方の笑い』、初版カバー裏表紙
- ^ 田中真治 (2022年4月11日). “元「上方芸能」誌編集長、86歳木津川さんが最後の「一人語り舞台」 公演数15年で300回”. 神戸新聞NEXT
- ^ a b 雑誌『上方芸能』について 雑誌『上方芸能』
- ^ “おとなの文化村(394回) 雑誌「上方芸能」編集長 広瀬依子さん”. おとなの文化村. FM大阪 (2016年1月12日). 2023年10月15日閲覧。
- ^ “季刊誌「上方芸能」終刊へ 1968年創刊、読者が高齢化”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年11月2日) 2015年11月2日閲覧。
- ^ 第1回泉大津市オリアム随筆(エッセイ)賞決定 泉大津市
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 大阪創造都市市民会議 NPO法人都市文化創造機構
- ^ 『上方の笑い』、pp.28-29