本多康明
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永6年(1709年) |
死没 | 享保15年8月10日(1730年9月21日) |
改名 | 猪三郎、直三郎(幼名)→康明 |
墓所 | 長野県飯山市奈良沢の忠恩寺 |
官位 | 従五位下、豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 信濃飯山藩主 |
氏族 | 本多氏(豊後守家) |
父母 | 父:本多助芳、母:小笠原長重の養女 |
兄弟 | 彦次郎、戸田氏房正室、女子、豊次郎、松平直好正室、康明、助有、加納久武正室 |
子 | 養子:助有 |
本多 康明(ほんだ やすあきら)は、信濃飯山藩の第2代藩主。広孝系本多家6代。官位は従五位下。豊後守。
経歴
[編集]1709年正月、江戸藩邸で生まれる。幼名は猪三郎、直三郎。三男だったが長兄と次兄が早世していたため、1725年の父の死去により跡を継いだ。1730年、帰国中に病に倒れ、同年8月10日に飯山城にて死去した。享年22。嗣子がなく、家督は弟の助有が継いだ。
墓所は飯山市奈良沢の忠恩寺。
系譜
[編集]父母
養子
- 本多助有 ー 実弟