李明 (唐)
李 明(り めい、? - 永淳元年7月29日(682年9月6日))は、中国の唐の太宗李世民の十四男。曹王に立てられた。
経歴
[編集]李明の母の楊氏は、もとは巣王李元吉の妃であり、太宗に寵愛されて、皇后の位にも望まれた。魏徴が諫言したので、太宗は楊氏立后を取りやめた。
貞観21年(647年)に曹王に封じられ、貞観23年(649年)に実封800戸を受けた。まもなく1000戸を加えられた。顕慶年間、梁州都督に任じられ、のちに虢州・豫州・蘇州の刺史を歴任した。高宗の命により李元吉の後を継いだ。調露2年(680年)、皇太子李賢の事件に連座して、零陵王に降格され、黔州に流された。永淳元年(682年)、都督の謝祐が迫って李明を自殺させた。高宗は李明の死を悼んで、黔州の官吏を全員罷免した。景雲元年(710年)に李明の柩が長安に運ばれ、昭陵に陪葬された。5子があった。
子女
[編集]- 李俊(零陵王、南州別駕)
- 李傑(黎国公、垂拱年間に処刑された)
- 李價(済国公)
- 李備(衛尉少卿)
- 李偲(右武衛大将軍)