李鳳
李 鳳(り ほう、武徳5年(622年)- 上元元年12月29日(675年1月30日))は、中国唐の高祖李淵の十五男。字は季成。虢王に立てられた。
経歴
[編集]李淵と楊美人のあいだの子として生まれた。武徳6年(623年)、豳王に封じられた。貞観5年(631年)、使持節・鄧州諸軍事・鄧州刺史に任じられた。貞観10年(636年)、虢王に改封され、使持節・虢州諸軍事・虢州刺史に転じた。貞観17年(643年)、上柱国を加えられた。貞観18年(644年)、使持節・豫州諸軍事・豫州刺史となった。
顕慶3年(658年)、使持節・宋州諸軍事・宋州刺史に転じた。龍朔3年(663年)、使持節・寿州諸軍事・寿州刺史となった。まもなく沁州刺史に転じた。赴任する前に、使持節・青州諸軍事・青州刺史に任じられた。上元元年(674年)に東都の懐仁里の邸で亡くなると、司徒・揚州大都督の位を追贈された。上元2年(675年)、献陵の北原に陪葬された。諡を荘といった。
妻は劉徳威の娘の劉氏(貞観元年(627年)- 上元2年5月14日(675年6月12日))。子に平陽王李翼・申州刺史の李茂融ら7人があった。
逸話・人物
[編集]- 李鳳は、狩猟遊びを喜び、属官を侮った。奴隷に虎皮をかぶせて脅かし、その参軍の陸英俊が恐怖のあまり間もなく死ぬと、呵々大笑して楽しんだという。