東京共済病院
東京共済病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 国家公務員共済組合連合会 東京共済病院 |
英語名称 | Tokyo Kyosai Hospital |
前身 | 東京海軍共済組合病院 |
標榜診療科 | 内科 心療内科 神経内科 腎臓内科 血液内科 呼吸器科 消化器科 循環器科 内分泌科 外科 整形外科 形成外科 美容外科 脳神経外科 呼吸器外科 消化器外科 精神科 リハビリテーション科 放射線科 麻酔科 耳鼻咽喉科 皮膚科 泌尿器科 眼科 婦人科 リウマチ科 緩和ケア科 |
許可病床数 | 350床 一般病床:350床 |
機能評価 | 一般病院2 3rdG:Ver.1.1 |
開設者 | 国家公務員共済組合連合会 |
管理者 | 久保田 俊郎(院長) |
開設年月日 | 1930年(昭和5年)9月9日 |
所在地 | 〒153-8934 東京都目黒区中目黒二丁目3番8号 |
位置 | 北緯35度38分30秒 東経139度42分14秒 / 北緯35.64167度 東経139.70389度 |
二次医療圏 | 区西南部 |
PJ 医療機関 |
国家公務員共済組合連合会 東京共済病院(こっかこうむいんきょうさいくみあいれんごうかい とうきょうきょうさいびょういん)は、東京都目黒区にあり、国家公務員共済組合連合会が運営する病院(旧令共済病院[1])である。
概要
[編集]東京海軍共済組合病院として開設されたものを、海軍解体後に国家公務員共済組合連合会が承継した、旧令共済病院である。地域医療支援病院の承認を受ける。病院の理念は、「私たちは、患者様の権利を尊重し、最善の医療提供に努めます」。
沿革
[編集]- 1912年(明治45年)3月28日 -「海軍造船造兵事業現業員ノ共済組合ニ関スル件」 明治45年3月23日勅令第18号が公布。
- 1922年(大正11年)3月29日 - 明治45年勅令第18号を全部改正し、海軍共済組合令[注釈 1]が公布され『海軍共済組合』が発足。(以後、6次に渡り改正)
- 1930年(昭和5年)9月9日 - 東京海軍共済組合病院として開設
- 1945年(昭和20年)10月 - 財団法人東京共済病院と改称
- 1958年(昭和33年)3月 - 国家公務員共済組合連合会の所属となる
- 2002年(平成14年)8月19日 - 日本医療機能評価機構の認定(一般B)を受ける
- 2010年(平成22年)8月25日 - 地域医療支援病院の承認を受ける
- 2012年(平成24年)4月 - 東京都乳がん診療連携協力病院認定
- 2016年(平成28年)4月 - 東京都大腸がん診療連携協力病院認定
診療部門
[編集]内科系診療部門
[編集]外科系診療部門
[編集]その他の診療部門
[編集]- 救急科
- 放射線科
- 臨床検査科
- 病理診断科
- リハビリテーション科
医療機関の指定等
[編集]- 保険医療機関
- 救急告示医療機関
- 労災保険指定医療機関
- 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療・精神通院医療)
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関
- 生活保護法指定医療機関
- 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関
- 公害医療機関
- 地域医療支援病院
- 特定疾患治療研究事業委託医療機関
- DPC対象病院
先進医療
[編集]- 術後のホルモン療法及びS-1内服投与の併用療法 原発性乳がん(エストロゲン受容体が陽性であって、HER2が陰性のものに限る。)
併設施設
[編集]- 介護老人保健施設「ケアなかめぐろ」
- 在宅介護支援センター
- 訪問看護ステーション「さわやか」
周辺の施設
[編集]- 目黒区立中目黒公園
- 知的財産高等裁判所・東京地方裁判所中目黒庁舎
- 防衛省目黒地区
- 目黒学院中学校・高等学校
交通アクセス
[編集]- 東急東横線・東京メトロ日比谷線中目黒駅下車、徒歩7分。
- JR東日本山手線ほか渋谷駅西口より東急バス渋41系統大井町駅行で約14分、東京共済病院前下車、徒歩3分。
- JR山手線ほか目黒駅より東急バス黒09系統野沢龍雲寺循環で約7分、東京共済病院前下車、徒歩3分。
- JR山手線・東京メトロ日比谷線恵比寿駅西口より東急バス恵32系統用賀駅行で約5分、正覚寺前下車、徒歩5分。
- 渋谷駅東口より東急バス渋71系統洗足駅行で約9分、正覚寺前下車、徒歩5分。
関連項目
[編集]- 旧令共済病院
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 「海軍作業庁所属雇員以下現業員ノ共済組合ニ関スル件」大正11年3月29日勅令第60号