松前盛広
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 元亀2年(1571年) |
死没 | 慶長13年1月21日(1608年3月7日) |
改名 | 松房丸(幼名)、守広(初名)、盛広 |
官位 | 従五位下若狭守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 松前藩 |
氏族 | 松前氏 |
父母 | 父:松前慶広、母:村上季儀の娘 |
兄弟 | 盛広、喜庭直信室、忠広、利広、由広、次広、景広、安広、満広、下国広季室 |
妻 | 正室:下国直季の娘 |
子 | 公広 養子:由広 |
松前 盛広(まつまえ もりひろ、旧字体:松󠄁前󠄁 盛󠄁廣)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士。官位は従五位下・若狭守。
略歴
[編集]元亀2年(1571年)、松前藩(正式には交代寄合)初代藩主・松前慶広の長男として誕生。
豊臣秀吉の死後、父・慶広と共に徳川家康に臣従した。慶長5年(1600年)に家督を継承したとされ、翌慶長6年(1601年)に従五位下・若狭守に叙位・任官するが、政務は依然として慶広が執り行っており、慶長9年(1604年)、幕府より黒印制書を受け松前藩が成立した際も、父・慶広が藩主として封じられた。
慶長13年(1608年)1月21日に父に先立って死去した。享年38。このため、盛広の長男・公広が慶広の世子となって家督を継ぐこととなった。