松実喜代太
松実 喜代太(まつみ きよた[1]、1867年1月3日(慶応2年11月28日[2]) - 1953年(昭和28年)5月2日[1][3])は、日本の政治家、地主[4][5]。衆議院議員(当選5回、立憲政友会所属)[1]、新十津川村長。参議院議員橋本聖子の大叔父にあたる[6]。
経歴
[編集]大和国吉野郡南十津川村(現在の奈良県吉野郡十津川村)出身。奈良県士族・松実漏器の長男[4][5][7]。
1884年(明治17年)に上京し、成城学校、慶應義塾で学ぶ。東京時代には三田の下宿で血脇守之助、矢野文雄、藤田茂吉らと政談を闘わせた[8]。1890年(明治23年)に横浜商業学校を卒業した[1]。その前年に十津川大水害があったのをきっかけに、十津川村民とともに北海道樺戸郡に移住し、新十津川村を開いた。
農業、山林業[5][7]、木材業[9]を営む。1903年(明治33年)には村長に選出され、1907年(明治40年)には北海道会議員に選出された。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。5回連続当選を果たした。国政では政友会に在籍し、財政通として知られた[10]。
その他、北海タイムス記者や、札幌毎日新聞社社長を務めた。勲三等旭日章受章。
人物
[編集]宗教は神道[4][5]。住所は北海道札幌市(現:札幌市中央区)北3条西11丁目[4][5][7]、北海道樺戸郡新十津川村(現:新十津川町)[9]。
家族・親族
[編集]- 松実家
脚注
[編集]- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』まの部470頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、36頁。
- ^ 『政治家人名事典』
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第11版 下』マ151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第12版 下』マ120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月23日閲覧。
- ^ “第201回国会 参議院 本会議 第5号 令和2年2月14日 - くにさく”. 第201回国会 参議院 本会議 第5号 令和2年2月14日 - くにさく. 2020年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第10版 下』マ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月12日閲覧。
- ^ “小伝/2.漢籍・英語研修”. www.tdc.ac.jp. 2020年11月21日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』ま64頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月12日閲覧。
- ^ 北海道新十津川町. “北海道新十津川町”. 北海道新十津川町. 2020年11月21日閲覧。
参考文献
[編集]- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。