松尾官平
松尾 官平 まつお かんぺい | |
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生年月日 | 1927年1月25日 |
出生地 | 青森県三戸郡三戸町 |
没年月日 | 2013年7月30日(86歳没) |
死没地 | 青森県 |
出身校 | 中央大学法学部(中退) |
前職 | 青森県議会議員 |
所属政党 | (自由民主党→) (自由社会を守る国民会議→) (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) 無所属 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
親族 | 義子・松尾和彦(三戸町長) |
第22代 参議院副議長 | |
在任期間 | 1995年8月4日 - 1998年7月25日 |
議長 | 斎藤十朗 |
選挙区 | 青森県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1980年6月1日 - 1989年7月9日 1991年2月 - 1998年7月25日 |
松尾 官平(まつお かんぺい、1927年1月25日 - 2013年7月30日)は、日本の政治家。参議院議員(通算4期)、参議院副議長(第22代)、沖縄開発政務次官(第1次中曽根内閣)、労働政務次官(第2次中曽根第2次改造内閣)、参議院環境特別委員長、青森県議会議員(5期)などを歴任した。位階は従三位。
来歴・人物
[編集]青森県三戸郡三戸町出身。中央大学法学部中退後、青森県議会議員を経て、1980年、参議院青森県補欠選挙に自由民主党公認で出馬し初当選。当選4回。自民党内では田中→竹下派に属した。
1993年6月には、小沢一郎、羽田孜らと共に自民党を離党し、同年結成の新生党に参加した。1994年12月には、新進党結成に参加。新緑風会結成で代表に就任した。
1995年8月から1998年7月まで参議院副議長を務めた。1998年、政界引退。同年、勲一等瑞宝章受章[1]。
2013年7月30日、心原性脳塞栓症により死去[2]。86歳没。叙従三位。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 | 比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
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当 | 第11回参議院議員補欠選挙 | 1980年6月1日 | 青森県地方区 | 自由民主党 | 239,087 | 58.0 | 1/3 | - | - | |
当 | 第13回参議院議員通常選挙 | 1983年6月26日 | 青森県選挙区 | 自由民主党 | 217,639 | 37.7 | 1/5 | - | - | |
落 | 第15回参議院議員通常選挙 | 1989年7月23日 | 青森県選挙区 | 無所属 | 177,516 | 26.2 | 2/5 | - | - | |
当 | 第14回参議院議員補欠選挙 | 1991年2月24日 | 青森県選挙区 | 自由社会を守る国民会議 | 240,129 | 50.0 | 1/3 | - | - | |
当 | 第16回参議院議員通常選挙 | 1992年7月26日 | 青森県選挙区 | 自由民主党 | 263,540 | 54.7 | 1/3 | - | - | |
当選回数4回 (参議院議員4) |
脚注
[編集]- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
- ^ 訃報:松尾官平さん86歳=元参院副議長 毎日新聞 - archive.today(2013年7月31日アーカイブ分)
議会 | ||
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先代 赤桐操 | 参議院副議長 第22代:1995年 - 1998年 | 次代 菅野久光 |
先代 山東昭子 | 参議院環境特別委員長 | 次代 林健太郎 |