松平 忠倫(まつだいら ただみち・ただとも)は、江戸時代前期の肥前国島原藩の世嗣。官位は従五位下・右京亮。
初代島原藩主・松平忠房の次男として誕生。正室は本多忠義娘。
兄・好房が早世したため嫡子となる。延宝2年(1674年)徳川家綱に御目見し叙任するが、不行跡のため貞享3年(1686年)に廃嫡された。
代わって、分家の旗本深溝松平家から忠雄が養子に迎えられ嫡子となった。
享保3年(1718年)、死去。享年62。