松平忠救
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永2年(1705年) |
死没 | 享保19年10月15日(1734年11月10日) |
官位 | 従五位下飛騨守 |
藩 | 肥前島原藩世嗣 |
氏族 | 深溝松平家 |
父母 | 父:松平次章、養父:松平忠雄 |
兄弟 | 忠救、忠俔ら 養兄弟:忠英、土岐頼稔正室、堀直恒室 |
子 | 松平忠刻養女[1] |
松平 忠救(まつだいら ただすけ)は、江戸時代中期の肥前国島原藩世嗣。島原藩分家で島原藩の大老を勤めた松平次章の子。官位は従五位下・飛騨守。
略歴
[編集]島原藩2代藩主・松平忠雄の実子が全て早世したため、本家島原藩の養子に迎えられる。
享保13年(1728年)、徳川吉宗に御目見し叙任するが、家督を継ぐことなく享保19年(1734年)に30歳で早世した。代わって、実弟・忠俔が養子に迎えられ嫡子となった。