林立夫

林 立夫
生誕 (1951-05-21) 1951年5月21日(73歳)
出身地 日本の旗 日本東京都港区
学歴 青山学院高等部
ジャンル J-POP
職業 ドラマー音楽プロデューサー
担当楽器 ドラムス
活動期間 1972年 -
共同作業者 小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ
ティン・パン・アレー
バンブー
オリエンタル・エクスプレス
PARACHUTE
SKYE
公式サイト 林立夫・OFFICIAL HP

林 立夫(はやし たつお、1951年5月21日 - )は、東京都出身のドラマー音楽プロデューサー

略歴

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骨董商を営む父の元、港区青山界隈で育つ。7つ上の兄の影響でドラムを始め、青山学院中学2年生の時、小原礼と出会い、アマチュアバンドのムーヴァーズを結成する。高校時代に細野晴臣に呼ばれた立教大学の音楽イベント「PEEP」のオーディションで鈴木茂と知り合い、小原礼、鈴木茂とSKYEを結成。1969年青山学院高等部卒業。そのまま青山学院大学に進学したが、授業に一回だけ出席したのみで中退。1972年小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ、続いてキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)に加入した。以降、1970年代から1980年代にかけて多数のレコーディング・セッションで活躍する。

1973年12月1日に発売され、日本初のミリオンセラーを記録したLPとなった井上陽水のアルバム『氷の世界』、荒井由実の『ひこうき雲』、大瀧詠一の『NIAGARA MOON』『A LONG VACATION』、細野晴臣の『HOSONO HOUSE』などの作品に携わる。

また、1974年から1975年にかけてバンブーに参加。ARAGON、PARACHUTEなどのグループの一員としても活躍する。

1980年代半ばに音楽活動を休止するが、1996年の荒井由実コンサートを期に活動再開した。99年から始まったイベント【GROOVE DYNASTY】の企画、プロデュース、そして自身もドラマーとしてプレイする。その他、沼澤尚が参加のユニットTHREE'S CO.のプロデュース、細野晴臣、鈴木茂とTin Panを結成しアルバムリリース&ツアー、小坂忠大貫妙子高中正義今井美樹岩瀬敬吾寺岡呼人等のレコーディング参加やコンサート出演など、現在プロデューサー&ドラマーとして活動。

2015年 沼澤尚(THEATRE BROOK)による新プロジェクト「AFTER SCHOOL HANGOUT」が始動。

2019年 俳優の佐野史郎のレコーディングを切っ掛けとして、鈴木茂小原礼と加入した松任谷正隆と共に「SKYE(スカイ)」を再結成。「佐野史郎 meets SKYE with 松任谷正隆」として「禁断の果実」を発表。 2021年、フルアルバム「SKYE」を発売。

事業

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日本を代表するドラマーの一人である一方で、アムウェイのディストリビュータとしても活動し、「クラウン・アンバサダー(CA)」の称号を持つ実業家でもある。

関連項目

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外部リンク

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