柳亭燕枝 (3代目)
三代目 | |
柳派定紋「花菱」 | |
本名 | 進藤 勝利 |
---|---|
生年月日 | 1894年12月3日 |
没年月日 | 1955年7月19日(60歳没) |
出身地 | 日本 |
師匠 | 八代目入船亭扇橋 二代目談洲楼燕枝 |
名跡 | 1. 入船亭左喜松 (1911年 - ?) 2. 青柳燕の助 (? - 1916年) 3. 五明楼春輔 (1916年 - 1917年) 4. 六代目柳亭小燕枝 (1917年 - 1930年) 5. 六代目都々逸坊扇歌 (1930年 - 1943年) 6. 三代目柳亭燕枝 (1943年 - 1955年) |
活動期間 | 1911年 - 1955年 |
家族 | 八代目入船亭扇橋(実父) |
所属 | 睦会 (? - 1917年) 中立会 (1917年 - 1930年) 睦会 (1930年 - 1955年) |
三代目 柳亭 燕枝(りゅうてい えんし、1894年(明治27年)12月3日 - 1955年(昭和30年)7月19日)は、落語家。本名∶進藤 勝利。
来歴
[編集]八代目入船亭扇橋(進藤大次郎)の実子。本名の「勝利」は日清戦争の勝利を願って名付けられた。
1911年に父の元で左喜松、のちに二代目談洲楼燕枝門下で青柳燕の助、1916年1月には五明楼春輔を経て、1917年11月にはそれまで所属だった睦会から中立会に移籍に伴い六代目柳亭小燕枝。
1930年11月には睦会復帰で六代目都々逸坊扇歌、1943年5月には三代目柳亭燕枝を襲名した。
柳家小きんに小燕枝の名前を襲名させようと動いたが、小きんの師匠の四代目柳家小さんが「小三治」を継がせる腹づもりがあり、両者間の話し合いで小燕枝襲名の話はなくなった[1]。
弟子
[編集]脚注
[編集]- ^ 諸芸懇話会同人; 柳亭燕路(6代目、発言者); 山本進; 橘左近; 斉藤忠一郎 (昭和63年12月1日). 「落語」噺家の代々 燕枝代々. 弘文出版. p. 121
出典
[編集]- 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)