柴田駿
しばた はやお 柴田 駿 | |
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生誕 | 1940年12月12日 日本 大阪府 |
死没 | 2019年12月11日(78歳没) 日本 東京都 |
職業 | 実業家 |
配偶者 | 川喜多和子 |
柴田 駿(しばた はやお、1940年(昭和15年)12月12日 - 2019年(令和元年)12月11日[1])は、日本の実業家である。フランス映画社の創設者として知られている[2][3]。
経歴
[編集]1965年(昭和40年)、ユニフランス・フィルムに勤務してい頃に川喜多和子と出会う[6]。1966年9月、川喜多と柴田は同棲を開始し[7]、10月26日に川喜多は伊丹十三と離婚した。1967年に川喜多は柴田の主催するフランス映画社に入った[8]。1968年2月、二人はフランス映画社を会社として設立し[9][5]、結婚した[5]。
柴田は同社の社長として、テオ・アンゲロプロス、ビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、侯孝賢などの監督作品の日本での配給を手がけた[5]。ジャン=リュック・ゴダールとは個人的にも親交があり、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』といった旧作のリバイバル上映も含めて、ゴダールの監督作品を数多く日本に紹介した[10]。そのほかに、大島渚や柳町光男の監督作品など、日本映画の外国での上映にも携わった[11]。1990年の第43回カンヌ国際映画祭、1994年の第44回ベルリン国際映画祭では審査員を務めた[12]。2014年にフランス映画社が破産したあとは、表舞台から退いていた[12]。
2019年12月11日、慢性閉塞性肺疾患により東京都の病院で死去[10]。78歳没[10]。
受賞
[編集]脚注
[編集]- ^ “Hayao Shibata”. AlloCiné. 2019年12月31日閲覧。
- ^ “柴田駿フランス映画社創設者を悼む 鑑識眼鋭い一座の長=池澤夏樹(作家)”. 毎日新聞 (2019年12月24日). 2019年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ “ゴダールの旗のもと出会った 柴田駿さんを悼む 映画評論家・蓮實重彦”. 朝日新聞 (2019年12月22日). 2019年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ “【おくやみ】 柴田駿さん フランス映画社創業者”. 東京新聞 (2019年12月15日). 2019年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ a b c d “世界の名匠の映画を配給、柴田駿さん逝く”. 日本経済新聞 (2019年12月18日). 2019年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ 『週刊現代』講談社、1967年1月31日、42-43頁。
- ^ 『ELLE japon』平凡出版社、1983年6月、45-48頁。
- ^ “財団について”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2024年11月25日閲覧。
- ^ “フランス映画社破産 「勝手にしやがれ」など配給”. ZAKZAK (2014年11月19日). 2015年1月25日閲覧。
- ^ a b c “カンヌ、ベルリンで審査員も歴任、数々の名作映画を日本に紹介した柴田駿さん逝去”. 映画.com (2019年12月13日). 2019年12月31日閲覧。
- ^ “フランス映画社創設者の柴田駿さん死去、78歳 ミニシアターブーム先駆け”. 毎日新聞 (2019年12月13日). 2019年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ a b “ミニシアターブーム支えた柴田駿さん死去 元配給会社長”. 朝日新聞 (2019年12月13日). 2019年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月31日閲覧。
- ^ “滝田監督、賞レース終了で「明日からは映画に夢中」 『日本映画批評家大賞』授賞式”. ORICON NEWS (2009年4月24日). 2019年12月31日閲覧。