栗生澤淳一
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1965年2月25日(59歳) | |||
出身地 | 岩手県大船渡市 | |||
ラテン文字 | Junichi Kuriuzawa | |||
身長 | 191cm[1] | |||
体重 | 75kg[2] | |||
血液型 | A型[2] | |||
選手情報 | ||||
所属 | 福井工業大学 | |||
愛称 | ジュンイチ[2] | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | センター[1] | |||
指高 | 240cm[2] | |||
スパイク | 346cm[2] |
栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール日本男子代表。
来歴
[編集]岩手県大船渡市出身。大船渡高、中央大学を経て、1987年日本たばこ産業(JT)広島支店に入社、日本たばこバレー部に入部。主力センターとして活躍した。[1][4]
その活躍から全日本代表に選抜される。1992年バルセロナオリンピック出場、アジア選手権には3度出場し、1989年準優勝、1991年優勝、1993年3位に貢献した。[1][4]
1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズの一員として引き続き参加。1998年現役を引退[1]。
直後から母校中央大学バレー部監督に就任し6年間務めた[4]。 2006年5月、オレーク・アントロポフの下、JTサンダーズのコーチに就任した[4]。翌2007年、リーグ開幕前にアントロポフが体調不良により帰国したため監督代行を務め[5]、同年の天皇杯で優勝した[6]。2008年6月にコーチを勇退[7]。
その後はJTサンダーズ副部長を務め[7]、2010年からは部長に昇格した。2013年、低迷していたチームを改革するためヴェセリン・ヴコヴィッチを監督に招聘し越川優を補強、これが実りJTを立て直し、2014/15シーズンにはクラブ史上初のリーグ優勝となった[8]。これを評価され2013/14シーズンにVプレミアリーグ優秀GM賞を受賞している。
エピソード
[編集]- 選手時代の偉業を記念して、地元大船渡に「栗生澤杯大船渡ポートサイドバレーボール大会」という高校年代の大会が開催されている。
略歴
[編集]- 岩手県立大船渡高等学校
- 中央大学
- 日本たばこ/JTサンダーズ(1987-1998年)
- 中央大学バレー部監督(1998-2003年)
- JTサンダーズコーチ(2006-2008年)
- JTサンダーズ監督代行(2007-2008年)
- JTサンダーズ副部長(2008-2010年)
- JTサンダーズ広島部長(2010-2021年)
- 福井工業大学バレーボール部監督(2021年-)
球歴
[編集]- 全日本代表としての主な国際大会出場歴[1]
- 監督(代行)歴
- Vプレミア - 2007/08(6位)
- 天皇杯 - 2007年(優勝)
- 受賞歴
- 2014年 - 2013/14Vプレミアリーグ 優秀GM賞[9]
出典
[編集]- ^ a b c d e f “チームトピックス”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e 月刊バレーボール1989年1月号臨時増刊 '89チームの顔 53ページ
- ^ “新メンバーの紹介【ウェルネス&スポーツサイエンスセンター】 | ウェルネス&スポーツサイエンスセンター”. 福井工業大学. 2024年2月11日閲覧。
- ^ a b c d “新コーチに栗生澤淳一が就任”. JT公式 (2006年5月). 2010年9月17日閲覧。
- ^ “JT最終戦飾り6位 バレープレミアL男子”. 中国新聞. (2008年3月24日) 2010年9月17日閲覧。
- ^ “全日本選手権レポート” (pdf). 日本バレーボール協会公式. (2008年1月6日) 2010年9月17日閲覧。
- ^ a b “栗生澤コーチ、平野選手、臺選手が勇退”. JT公式 (2008年6月). 2010年9月17日閲覧。
- ^ “【男子バレー】JT創部84年目の初V。チームを変えた3人の男たち”. スポルティーバ (2015年4月6日). 2015年4月15日閲覧。
- ^ Vリーグ機構. “2013/14 V・プレミアリーグ 男子表彰選手”. 2014年4月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- 選手・スタッフ - JT公式