桓王
桓王 | |
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周 | |
第14代王 | |
王朝 | 周 |
在位期間 | 前719年 - 前697年3月19日[1] |
都城 | 王城(洛邑) |
姓・諱 | 姫林 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前697年3月19日 |
父 | 太子洩父(平王の子) |
后妃 | 紀季姜 |
桓王(かんおう)は、周朝の第14代の王。太子洩父の子。父が即位前に早世していたため、王太孫に定められ、祖父の平王が崩御すると継いで即位した。
叔父に姫烈、姫狐(太子洩父の弟)がいる[2]。
即位した後、諸侯の力を弱め、相対的に王権を強化する政策を実行した。また周領と鄭の領地が接しており、鄭が境界線を越えて黍(稷、キビ)を収穫したことから、族祖父(祖父の又従弟)にあたる鄭の荘公を卿士の職位より罷免し、これに不満を持った荘公は一切朝見を行わなくなり、周と鄭の関係も悪化している。前707年、桓王は蔡、衛、陳と連合して鄭を攻撃したが(繻葛の戦い)、撃退されてしまい、周王室の力の衰えを露呈する形になってしまった。
桓王が王権の強化に努めたが、周王室の衰退はとどまらず、諸侯間の紛争を阻止する影響力を失った。紀元前697年、桓王は崩御し、子の姫佗(荘王)が王位を継承した。
しかし、桓王は少子の儀叔克(姫克)[3]を溺愛していたため、太子の姫佗が即位すると、王族の周公黒肩が儀叔克を擁立し、兄弟による相続争いに発展してしまった。