森寺常安
森寺 常安(もりでら つねやす、寛政3年12月13日(1792年1月6日) - 明治元年9月22日(1868年11月6日))は、幕末の地下人。森寺常倫の子。字は遜卿。
京都に生まれる。文化4年(1807年)三条家に仕え、文化11年(1814年)諸大夫となる。官職では出羽介、大隅守、長門守、雅楽権助を歴任。嘉永5年(1852年)因幡守に任ぜられ、嘉永6年(1853年)従四位下となっている。
ペリー来航後は主家のために奔走し、安政5年(1858年)三条実万に橋本左内を斡旋し、入説を助けた。そのために子の常邦とともに安政の大獄に連座。安政6年(1859年)江戸に送られて、永押込刑となった。文久2年(1862年)赦免され、慶応元年(1865年)従四位上となった。死後、贈正四位。