森岡守成
森岡 守成(もりおか もりしげ、1869年9月14日(明治2年8月9日) - 1945年4月28日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将正三位勲一等功三級[1]。幼名、森重弥蔵。
経歴
[編集]山口県出身。農業、森重五左衛門の二男として生れ、官吏、森岡正奇の養嗣子となった。1891年7月、陸軍士官学校(2期)を卒業し、翌年3月、騎兵少尉任官。日清戦争には騎兵第4大隊小隊長として従軍した。1899年12月に陸軍大学校(13期)を優等で卒業した。騎兵第9連隊中隊長、陸軍省軍務局課員、陸大教官などを歴任。
日露戦争には、第5師団参謀として出征し、騎兵第1旅団参謀、大本営幕僚を勤めた。陸大教官、参謀本部付(トルコ差遣)、参謀本部員、オーストリア大使館付武官、騎兵第16連隊長、陸軍騎兵実施学校長、参謀本部課長、青島守備軍参謀長などを歴任。
1916年5月、陸軍少将に進級、軍馬補充部本部長、騎兵監を歴任し、1919年7月、陸軍中将に進級。第12師団長、近衛師団長、軍事参議官を歴任し、1926年3月、陸軍大将を拝命し、朝鮮軍司令官、軍事参議官を経て、1927年9月、予備役に編入された。
栄典
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)7月6日 - 正八位[2]
- 1897年(明治30年)12月15日 - 正七位[3]
- 1919年(大正8年)9月10日 - 従四位[4]
- 1921年(大正10年)9月30日 - 正四位[5]
- 1924年(大正13年)12月1日 - 従三位[6]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[7]
- 1919年(大正8年)12月15日 - 戦捷記章[8]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 旭日重光章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[9]
- 1923年(大正12年)5月29日 - 勲一等瑞宝章[10]
- 外国勲章佩用允許
著書
[編集]- 『余生随筆』日本国防協会、1937年。
脚注
[編集]- ^ サクラタロウ-森岡守成
- ^ 『官報』第2707号「叙任及辞令」1892年7月7日。
- ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。
- ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。
- ^ 『官報』第2751号「叙任及辞令」1921年10月1日。
- ^ 『官報』第3684号「叙任及辞令」1924年12月2日。
- ^ 『官報』第4013号・付録「辞令」1896年11月12日。
- ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
- ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- ^ 『官報』第3248号「叙任及辞令」1923年5月30日。
- ^ 『官報』第1695号「叙任及辞令」1918年3月30日。