横山有策
よこやま ゆうさく 横山 有策 | |
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生誕 | 1882年12月18日 日本・岡山県高梁市 |
死没 | 1929年4月2日(46歳没) |
出身校 | 早稲田大学→ ハーバード大学 |
職業 | 教育者・英文学者 |
団体 | 早稲田大学関係者 |
著名な実績 | シェイクスピアの研究 |
横山 有策(よこやま ゆうさく、1882年(明治15年)12月18日 - 1929年(昭和4年)4月2日)は、日本の英文学者[1]。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1882年(明治15年)岡山県川上郡玉川村(現・高梁市)に生まれる。その後、1895年に旧制高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)の一期生として進学した[2]。1990年に同学校を卒業し、早稲田大学高等予科へ進学。1902年9月に早稲田大学へ入学した。1904年9月には、ラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)葬儀で早稲田学生総代として弔辞朗読する[2]。1905年に早稲田大学文学部英文科卒業。1907年渡米しハーバード大学に学び、1910年5月に卒業する。
講師として
[編集]1911年帰国、早稲田中学校の英語教師となる。その後、1916年早稲田大学英文科講師となり、坪内逍遥の後を受けてシェイクスピアの講義を担当した。1918年(大正7年)9月、35歳の時に早稲田大学教授となる[3]。その後、1920年に坪内逍遥の文化事業研究会常任幹事となり、校外教育部中央夏期講習会にて「近代文学に現れたる婦人問題」と題し講演した。1923年(大正12年)、40歳のときからは、日本女子大学校教授も務めた。1927年7月より、早稲田大学演劇博物館設立の実行委員会委員となる[2]。
横山の功績として特出すべき点は、シェイクスピアの「ハムレット物語」「マクベス物語」など、多くの翻訳本が刊行されているが、横山はただ単に筋を追うのみならず、登場人物の性格などを分析し、解説を加えて物語化する研究者らしい訳し方をして注目を浴びた。主な著書に『シェリーの詩論と詩の擁護』、『文学概論』、『英文学史要』、翻訳は『沙翁傑作集』など多数あり、遺稿は『シェイクスピア研究[4]』。
1929年(昭和4年)4月2日、46歳[5]で早逝した。
著書
[編集]- 『Hints on translating Japanese into English : for the students of the preparatory course』寶永館書店 1913
- 『English composition and grammar』寶永館 1915
- 『誤譯三百題 英作文文法 正譯詳解』二松堂書店 1915
- 『文学概論』久野書店 1921
- 『シエリーの詩論と詩の擁護』英詩文研究 早稲田泰文社 1923
- 『英文学史要』早稲田泰文社 1927
- 『芸術による生活改造』文明協会ライブラリ 1928
- 『ハムレット物語・マクベス物語』世界文学物語叢書 婦人之友社 1929
- 『シエークスピア研究』東京泰文社 1931
翻訳
[編集]- チャールズ・ホイツトビ『人物の要素』大日本文明協会事務所 1915
- ハイラム・モダーウエル『近代劇研究』大日本文明協会事務所 1921
- チヤールス・キングスレー『水の赤ン坊 童話』胡桃正樹共訳 同人社書店 1921
- アツシユレー・ソーンダイク『文学と社会』石井真峰共訳 早稲田泰文社 1923
- ジョン・ドリンクウオータ『エブラハム・リンカーン』新潮社 海外文学新選 1924
- フレデリック・ロー『カーライル及ラスキンの社会哲学』文明協会 1926
- 『沙翁傑作集』世界文学全集 新潮社 1929
- シエークスピヤ『ジュリアス・シーザー』新潮社 新潮文庫 1933
- シエークスピヤ『ハムレツト』新潮社 新潮文庫 1933
- シエークスピヤ『ローミオとジュリエット』新潮社 新潮文庫 1933
脚注
[編集]- ^ “美濃加茂事典 / みのかも文化の森・美濃加茂市民ミュージアム”. www.forest.minokamo.gifu.jp. 2024年11月18日閲覧。
- ^ a b c 早稲田人名データベース 横山有策
- ^ “横山有策(よこやまゆうさく)について知りたい。”. 2024年11月18日閲覧。
- ^ “横山有策”. www6.plala.or.jp. 2024年11月18日閲覧。
- ^ 墓地