橘知尚
橘 知尚(たちばな の ともなお、生年不詳 - 応長2年(1312年)正月)は、鎌倉時代の公卿。左京大夫・橘知嗣の次男。官位は従三位・刑部卿。
経歴
[編集]大宮院蔵人や六位蔵人兼右衛門尉を経て、弘安7年(1284年)従五位下に叙爵し、父の知嗣が知行していた丹波守に任ぜられる。弘安10年(1287年)従五位上、正応4年(1291年)正五位下と昇進し、永仁2年(1294年)3月に刑部権大輔に任ぜられるが、8月には辞任している。
正安3年(1301年)大覚寺統の後二条天皇が即位すると大膳大夫兼伯耆守に任ぜられ、嘉元元年(1303年)左京大夫、徳治元年(1306年)刑部卿と京官を歴任する一方、正安4年(1302年)従四位下、嘉元2年(1304年)従四位上、徳治3年(1308年)正四位下と順調に昇進した。
延慶4年(1311年)4月に従三位に昇叙され、橘氏としては大納言・橘好古以来339年ぶりに公卿昇進を果たした。同年8月21日に出家。法名は観知。最終官位は前刑部卿従三位。応長2年(1312年)正月薨去。
経歴
[編集]注記のないものは『公卿補任』による。
- 時期不詳:大宮院蔵人
- 弘安4年(1281年) 7月1日:六位蔵人、右衛門尉
- 弘安7年(1284年) 3月26日:従五位下(臨時)。5月6日:丹波守(父知嗣知行)
- 弘安10年(1287年) 7月10日:従五位上
- 正応元年(1288年) 8月27日:去丹波守
- 正応4年(1291年) 正月6日:正五位下
- 正応5年(1292年) 6月:服喪(父)
- 永仁2年(1294年) 3月4日:刑部権大輔。8月5日:辞権大輔
- 正安3年(1301年) 7月13日:大膳大夫。10月5日:兼伯耆守
- 正安4年(1302年) 2月28日:止守。日付不詳:従四位下。○月18日:止四品位記。○月29日:大膳大夫。10月24日:従四位下
- 嘉元元年(1303年) 10月29日:左京大夫
- 嘉元2年(1304年) 5月5日:辞大夫。6月2日:従四位上
- 徳治元年(1306年) 12月30日:刑部卿
- 徳治3年(1308年) 2月7日:正四位下。3月4日:辞卿
- 延慶4年(1311年) 4月15日:従三位。8月21日:出家(前刑部卿従三位)
- 応長2年(1312年) 正月:薨去
系譜
[編集]『系図纂要』による。
- 父:橘知嗣 - 正四位下、左京大夫
- 母:宗像浄恵の女
- 妻:不詳
- 男子 : 橘知国 - 従四位下、宮内大輔
参考文献
[編集]- 『公卿補任』2-421上
- 『公家事典』