歩兵第67連隊(ほへいだい67れんたい、歩兵第六十七聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
- 3月26日 - 静岡県浜名郡浜松町の新兵営に移転[2]。
- 5月8日 - 軍旗拝受
- 4月 - 動員下令、第15師団隷下となる
- 8月 - 上海に上陸、南京に進出し同地の警備に就く
- 8月 - サイゴンに到着、まもなくタイ北部へ進出
- 2月 - インパール作戦準備のためビルマに進出
- 3月15日 - 第3大隊のみチンドウィン川渡河
- 3月28日 - 第3大隊はインパール・コヒマ街道の遮断に成功する
- 4月 - 連隊主力はウィンゲート空挺旅団の掃討作戦を終了しインパールへ向かう
- 5月8日 - 連隊主力が師団に復帰
- 6月10日 - 3524高地の攻撃を開始するが英印軍の抵抗により失敗する
- 7月 - 撤退命令が下る
- 8月 - 終戦
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐) 代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
第一次 |
1 | 江木精夫 | 1907.10.22 - 1909.1.9 | 中佐、1907.11.大佐 |
2 | 丹羽剛 | 1909.1.9 - 1911.9.6 | |
3 | 高野毅 | 1911.9.6 - 1916.5.2 | |
4 | 小沢三郎 | 1916.5.2 - 1917.5.18 | |
5 | 安原啓太郎 | 1917.5.18 - | |
6 | 関谷連三 | 1919.4.16 - 1920.8.10[3] | |
7 | 長尾恒吉 | 1920.8.10 - | |
8 | 野田久吉 | 1921.3.4 - 1922.8.15[4] | |
9 | 中村孝太郎 | 1922.8.15 - 1923.8.6[5] | |
10 | 田中館浩太郎 | 1923.8.6 - 1925.5.1 | |
第二次 |
1 | 大熊貞雄 | 1938.7.15 - | |
2 | 大竹修 | 1939.12.23 - | |
3 | 鈴木啓久 | 1940.8.1 - | |
4 | 柳沢寛次 | 1941.8.25 - | |
末 | 滝口一郎 | 1944.10.31 - | 中佐 |
- ^ 『官報』第7311号、明治40年11月9日。
- ^ 『官報』第7425号、明治41年3月31日。
- ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
- ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』