水谷文彦

水谷文彦(みずたに ふみひこ、1937年10月1日 - )は日本大蔵官僚血液型はA型[1]沖縄開発事務次官住宅・都市整備公団副総裁、(株)新都市情報システム社長、独立行政法人通関情報処理センター理事長などを歴任。神奈川県横浜市青葉区美しが丘西3丁目在住[2]

来歴

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岐阜県本巣郡出身[3]岐阜県立本巣高等学校東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[4]。東大法学部第2類在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格[5]1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。入省同期に伊吹文明篠沢恭助千野忠男[4]

1966年 武雄税務署長[4]1975年7月 熊本県企画開発部長[4]1983年6月 理財局資金第一課長[4]1984年6月 理財局総務課長[4]1985年6月 東海財務局長[4]1986年6月 大臣官房審議官証券局担当)兼関東財務局東京証券取引所監理官[4]1987年6月 大臣官房審議官(証券局担当)[4]1988年6月 理財局次長(旧理財担当)[6][4]1989年7月より沖縄開発庁振興局長へ転任。1992年7月10日沖縄開発事務次官となる。1993年9月3日 退官。同年10月 住宅・都市整備公団副総裁(〜1999年6月)[2]2001年1月 (株)新都市情報システム代表取締役社長[2]2003年10月 独立行政法人通関情報処理センター理事長[2]

職歴

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  • 1960年4月:大蔵省入省(主計局総務課)
  • 1962年6月:東海財務局理財部
  • 1963年6月:経済企画庁調整局財政金融課専門調査員[7]
  • 1965年4月:大臣官房調査課調査主任[8]
  • 1966年6月:武雄税務署長
  • 1967年8月:国有財産局国有財産第一課長補佐
  • 1968年7月:防衛庁経理局会計課
  • 1970年7月:主計局主計官補佐(科学技術、文化係主査)
  • 1972年6月:主計局法規課長補佐
  • 1973年7月:主計局主計官補佐(運輸第一、二係主査)
  • 1974年7月:主計局主計官補佐(通商産業第一、二係主査)
  • 1975年7月:熊本県企画開発部長
  • 1977年6月:人事院事務総局給与局給与第二課長
  • 1979年7月:銀行局保険部保険第二課長
  • 1980年6月:主計局給与課長
  • 1982年6月:主計局法規課長
  • 1983年6月:理財局資金第一課長
  • 1984年6月:理財局総務課長
  • 1985年6月:東海財務局長
  • 1986年6月:大臣官房審議官(証券局担当)兼関東財務局東京証券取引所監理官
  • 1987年6月:大臣官房審議官(証券局担当)
  • 1988年6月:理財局次長(旧理財担当)
  • 1989年7月:沖縄開発庁振興局長
  • 1992年7月:沖縄開発事務次官
  • 1993年9月:退官

脚注

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  1. ^ 『日本の官庁,その人と組織:大藏省,経済企画庁』政策時報社、1987年発行、159頁
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第43巻、第2号』2005年3月発行、61頁
  3. ^ 『日本の官庁,第3巻』国土政策研究会、1989発行、150頁
  4. ^ a b c d e f g h i j 『大蔵省名鑑 1989年版』時評社、1989年1月発行、71頁
  5. ^ 国家試験 昭和34年度国家公務員採用上級試験合格者官報 第9831号』
  6. ^ 大蔵省主要官職歴任表(昭和49〜63年度)
  7. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1965年発行、164頁
  8. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1966年発行、374頁
官職
先代
的場順三
熊本県企画開発部
1975年 - 1977年
次代
畠山蕃
先代
日吉章
大蔵省東海財務局
1985年 - 1986年
次代
田中誠二
先代
藤田康夫
沖縄開発庁振興局
1989年 - 1992年
次代
渡辺明
先代
藤田康夫
沖縄開発事務次官
1992年 - 1993年
次代
永山喜緑