永原原姫

永原 原姫(ながはら の もとひめ、生没年不詳)は、平安時代初期の淳和天皇女御亭子女御[1][2]永原御息所[3]とも。

生涯

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はじめ尚蔵緒継女王に仕えていた[4]が、淳和天皇に寵愛され女御となる。また後宮において尚蔵を務めたが、位階などはわかっていない。嵯峨天皇の皇子源定が淳和天皇の猶子となった際にその養母になり、定は薨伝に「…定有二父二母焉」(定には二人の父と二人の母がいる)と称されるほど淳和天皇と原姫に大切にされた[1]

広隆寺に多額の財を寄進したことでも知られており、現在の講堂の本尊である阿弥陀像などは原姫によって寄進されものである[5]

脚注

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  1. ^ a b 日本三代実録貞観5年(863年)正月三日丙寅条(源定薨伝)
  2. ^ 一代要記
  3. ^ 広隆寺縁起資材帳
  4. ^ 仁藤智子「平安初期における后位の変質過程をめぐって:王権内の序列化とその可視化」『国士舘人文学』6号,国士舘大学文学部人文学会,2016年,p149
  5. ^ 仏書刊行会編『大日本仏教全書』第119巻,仏書刊行会,1922年,p58

参考文献

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