池田政周
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 明暦2年(1656年) |
死没 | 延宝5年1月8日(1677年2月9日) |
改名 | 鍋之助、政周 |
別名 | 政元 |
戒名 | 智光院殿義峯崇俊大居士 |
墓所 | 岡山県備前市吉永町の和意谷池田家墓所 |
官位 | 従五位下・豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨山崎藩主 |
氏族 | 池田氏(恒元流) |
父母 | 父:池田恒元、母:上田氏 養母:松平定勝の娘・玉子 |
兄弟 | 政周、板倉重良正室、蕃子、竹中重長正室 |
妻 | 板倉重大の娘・遊子 |
子 | 養子:恒行 |
池田 政周(いけだ まさちか)は、江戸時代前期の大名。播磨国山崎藩の第2代藩主。官位は従五位下・豊前守。諱は政元ともいう。恒元系池田家2代。
略歴
[編集]初代藩主・池田恒元の長男として誕生した。幼名は鍋之助。
寛文11年(1671年)、父の死去により跡を継ぐが、延宝5年(1677年)正月8日に早世した。嗣子がなく、跡を池田綱政(従兄にあたる)の六男・恒行が継いだ。法号は智光院殿義峯崇俊大居士。墓所は岡山県備前市吉永町の和意谷池田家墓所。