河野清丸
河野 清丸(こうの きよまる、1873年(明治6年)3月3日[1] - 1942年(昭和17年)8月21日[2])は、日本の教育学者。
経歴
[編集]愛媛県周桑郡周布村(現在の西条市)出身[3]。1891年(明治24年)、愛媛県師範学校に入学[4]。卒業後、高等小学校訓導、校長を務めた[4]。1903年(明治36年)、愛媛県立商業学校助教諭に転じ、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験に合格して、同校教諭となった[4]。1906年(明治39年)、東京帝国大学文科大学哲学科選科に入学し[4]、吉田熊次のもとで教育学を学んだ[5]。またそのかたわら大成中学校修身科講師を務めた[4]。1910年(明治43年)に卒業し、また高等学校卒業試験にも合格して、文学士となった[5]。1911年(明治44年)に日本女子大学校教授となり、附属豊明小学校の主事を兼ねた[1][5]。
1921年(大正10年)に大日本学術協会主催の講演会で八大教育主張の1つの「自動教育論」を提唱した[5]。
著作
[編集]- 『教育大意』(目黒書店、1911年)
- 『活動的修養法 手と人格』(建文館、1911年) 加藤貞次郎と共著
- 『個性研究児童と其の境遇』(目黒書店、1912年)
- 『モンテツソリー教育法と其応用』(同文館、1914年)
- 『自動主義最新教授論』(日本学術普及会、1914年)
- 『モンテツソリー教育法真髄』(北文館、1915年)
- 『自動教育法の原理と実際』(両円社、1916年)
- 『創作本位 綴方教授の具体的研究』(文教書院、1920年)
- 『矛盾解決 教育上の論争』(東京宝文館、1922年)
- 『自動教育論』(内外出版、1923年)
- 『児童教育学概論』 (東京堂書店、1925年)
- 『ヘーベルリンの批判的教育思想』 (広文堂、1925年)
- 『宗教的教育論』(南光社、1928年)
- 『革新的修身教育原論』 (南光社、1933年)
- 『宗教的人格教育論』 (南光社、1936年)
脚注
[編集]- ^ a b 大衆人事録 第3版 1930.
- ^ 唐沢 1984.
- ^ 愛媛県生涯学習センター. “データベース「えひめの記憶」- 愛媛県史 人物” (日本語). 2019年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e 新人物立志伝 1922, pp. 33–41.
- ^ a b c d 日本現代教育学大系 第3巻 1927, pp. 209–211.