泊居町
とまりおるちょう 泊居町 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 | 国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 真岡支庁 |
郡 | 泊居郡 |
面積 | 約555.228 [1] km2. |
総人口 | 11,777人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 | 真岡郡野田町、名寄村 豊栄郡落合町、栄浜村 |
泊居町役場 | |
所在地 | 樺太庁泊居郡泊居町 |
座標 | 北緯47度28分 東経142度24分 / 北緯47.46度 東経142.4度座標: 北緯47度28分 東経142度24分 / 北緯47.46度 東経142.4度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
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泊居町(とまりおるちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
泊居という地名は、アイヌ語の「トマリ・オロ」(港の内)による[2]。
現在は、ロシア連邦がサハリン州トマリ、ノボショーロヴォとして実効支配している。
概要
[編集]- 間宮海峡に面する樺太西海岸に位置した。
- 王子製紙(元樺太工業)の製紙工場が1915年から存在した。その他、缶詰工場、ビール工場が存在していた。なおこれらは戦後も操業されている。
- 交通機関として1930年に開業した樺太西線泊居駅が存在した。樺太西線が1937年に久春内駅まで延長されるまでは樺太西線における最北の駅であった。
- 当地出身の著名人にシャンソン歌手の高英男がいる。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、泊居町、追手村が行政区画として発足。泊居郡に所属し、泊居支庁が管轄。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 樺太町村制施行に伴い、大字鷹澤を名寄村に分合、追手村を本町に編入。[3]
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により一級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が真岡支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日泊居町廃止。
町内の地名
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- 旧追手村地域
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地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
国民学校
[編集]- 樺太公立広部国民学校
- 樺太公立泊居国民学校
- 樺太公立元山国民学校
- 樺太公立奥沢国民学校
- 樺太公立中ノ沢国民学校
- 樺太公立杜門国民学校
- 樺太公立追手国民学校
- 樺太公立中追手国民学校
中等学校
[編集]- 樺太庁泊居高等女学校
- 樺太公立泊居工業学校
脚注
[編集]- ^ 泊居町勢要覽 昭和8年
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.338
- ^ 泊居町勢便覧(樺太泊居郡泊居町役場 1924年)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1683、p. 1692 - 93