浅間山 (東京都)
浅間山 | |
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南から眺めた浅間山 | |
標高 | 79.7 m |
所在地 | 日本 東京都府中市 |
位置 | 北緯35度40分52秒 東経139度30分9秒 / 北緯35.68111度 東経139.50250度座標: 北緯35度40分52秒 東経139度30分9秒 / 北緯35.68111度 東経139.50250度 |
種類 | 残丘 |
プロジェクト 山 |
浅間山(せんげんやま)は、東京都府中市にある標高79.6mの山。陸軍に利用されていたが、太平洋戦争後に払い下げられ、1970年6月1日に東京都立浅間山公園として開園した。
人見街道沿いにあり、歴史の書や絵に記されている。この周辺の地はかつて人見村であり、「人見山」とも呼ばれた[1]。
地形
[編集]台地が河川によって削られて丘として残ったもので、府中市唯一の山である。堂山(79.6m)、前山、中山の3つの山により構成されている。周辺との比高は約30m。「人見四郎墓跡」が前山尾根にある。
太平洋戦争中は陸軍燃料廠があり、浅間山の麓の窪地などには航空燃料貯蔵タンクが設置されていた。また、陸軍の調布飛行場の戦闘機を隠蔽する場所としても利用された。
地質は多摩丘陵と同じく三浦層群からなり、その上に御殿峠礫層(古相模川によるもので多摩丘陵北部に分布)、関東ローム層も見られ、武蔵野台地成立前に遡る古い多摩川が削って残した残丘(浸食丘)と考えられる[2][3](アーカイブ)。御殿峠礫層がある点で稲城南山とは異なっている。[4][5]。
生態系
[編集]樹木はコナラ、クヌギ、イヌシデなどがあり、武蔵野の面影を残す雑木林である。その他の植生としては、日本で唯一の「ムサシノキスゲ」の自生地があり、5月頃に開花する[6]。このほかキンラン、ギンラン、ヤマユリなどの山野草が見られる。
野鳥も多く、地元住民などによる「浅間山自然保護会」が植物・野鳥の保護や見学イベントを行なって[6]。
浅間神社
[編集]山頂には円形の古墳があり、その上に浅間神社(人見浅間神社)の祠がある。堂山の頂上に鎮座する。祭神は木花開耶姫命。祭日は、四月一日。神社誌によると「祭神木花佐久夜比命・由緒鎮座の起源年月未詳 社殿間口二尺奥行二尺但し『石ノ宮』境内百坪 立木十五本 信徒五十九人」となっている。ご神体は十一面観音立像。
ギャラリー
[編集]- 浅間山。浅間神社。男坂。
- 浅間山。西方より。女坂。
- 浅間山公園より。
- 多磨霊園から
- 水手洗(みたらし)神社
- 浅間神社
- ムサシノキズゲ
- 桜
- 桜
アクセス
[編集]- 所在地
- 東京都府中市浅間町四丁目と若松町五丁目にまたがる一帯。
- アクセス
- JR中央線武蔵小金井駅あるいは京王線東府中駅より京王バスにて「浅間山公園」下車。
- 東府中駅より徒歩約18分。
- 北西角道路沿いに駐輪場。駐車場は無い。
出典
[編集]- ^ 『武蔵名勝図会』「人見山 村の西寄りにあり。三ヶ所屹立し、堂山、中山、浅間山と唱う。その内にて浅間山を第一とす。そのニは堂山、その三は中山なり。」
- ^ キラリ府中 『多摩の台地が河川に削られ小高い丘として残ったもの』
- ^ 府中市 「浅間山の地形 立川段丘面地域で特異な地形は、地域の東部にある浅間山である~(略)~浅間山の地質は多摩丘陵を構成する三浦層群から成るもので、周囲の段丘の地質とは全く異なっている。すなわち武蔵野段丘 や立川段丘の形成される以前に、すでに、古多摩川やその他の河川によってその周辺がけずり取られ、孤立丘となって残った侵食残丘である。従って、地形的には多摩丘陵の一部で、多摩段丘に属していると考えられる。」[リンク切れ]
- ^ (株)クボタ 多摩丘陵
- ^ 稲城南山とその周辺 多摩丘陵編
- ^ a b 「新緑に映える黄 ムサシノキスゲ 府中・浅間山」『読売新聞』朝刊2023年5月4日(都民面)
- ^ 「人見村/浅間社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ93多磨郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763989/7。
関連項目
[編集]- 浅間山 (曖昧さ回避) - 同名の山々。
- 人見街道