浪合村
なみあいむら 浪合村 | |||||
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廃止日 | 2006年1月1日 | ||||
廃止理由 | 編入合併 浪合村→阿智村 | ||||
現在の自治体 | 阿智村 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 下伊那郡 | ||||
市町村コード | 20408-1 | ||||
面積 | 57.24 km2. | ||||
総人口 | 765人 (推計人口、2005年12月1日) | ||||
隣接自治体 | 阿南町、阿智村、下條村、平谷村、中津川市 | ||||
村の木 | シラカバ | ||||
村の花 | レンゲツツジ | ||||
村の鳥 | ウグイス | ||||
浪合村役場 | |||||
所在地 | 〒395-0501 長野県下伊那郡浪合村1018番地 | ||||
座標 | 北緯35度22分27秒 東経137度41分26秒 / 北緯35.37422度 東経137.69044度座標: 北緯35度22分27秒 東経137度41分26秒 / 北緯35.37422度 東経137.69044度 | ||||
ウィキプロジェクト |
浪合村(なみあいむら)は、長野県下伊那郡の西南部に位置し、岐阜県に接した村。
地理
[編集]四方を1,000m級の山々に囲まれた谷間の村である。村内を三州街道(国道153号)が縦貫している交通の要衝で、江戸時代には関所が置かれていた。
村の南部、平谷村との村境にある治部坂峠(じぶざかとうげ)の周辺は古くから観光地化されており、中京圏からの観光客が多い。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]沿革
[編集]伝説
[編集]- 天野源蔵の『浪合記』によると、室町時代の元中2年/至徳2年12月朔日(1385年1月)[1]に、尹良親王(南北朝時代の後醍醐天皇の孫、宗良親王の皇子)が、三河国を目指すために世良田政義・親季・義秋・政親(世良田氏一族)ら新田氏の残党とともにこの地で戦死したとする(浪合の合戦)[2]。
交通
[編集]鉄道
[編集]村内を通る鉄道路線は無い。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR東海飯田線飯田駅。
道路
[編集]- 一般国道
- 国道153号(三州街道)
- 県道
- 長野県道243号深沢阿南線
名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 治部坂峠
- 浪合関所跡
- 浪合神社(尹良親王墓)
- あららぎ高原スキー場
- 治部坂高原スキー場
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 阿智村・浪合村 合併協議会(2006/03/15アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 浪合村 - ウェイバックマシン