渡辺正行と森川由加里のスーパーギャング
渡辺正行と森川由加里の スーパーギャング (ナベユカのスーパーギャング) | |
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ジャンル | トーク番組 バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1988年4月11日 - 1989年4月3日 |
放送時間 | 毎週月曜日深夜(火曜日未明) 25:00 - 26:45(午前1:00 - 2:45) |
放送局 | TBSラジオ |
ネットワーク | 北海道放送 山陽放送 RKB毎日放送 |
パーソナリティ | 渡辺正行 森川由加里 |
ディレクター | 赤木D[1] |
『渡辺正行と森川由加里のスーパーギャング』(わたなべまさゆきともりかわゆかりのスーパーギャング、通称『ナベユカのスーパーギャング』)は、1988年4月11日から1989年4月3日まで、TBSラジオ制作の深夜ラジオ番組『スーパーギャング』で放送されていたラジオ番組。パーソナリティはお笑いタレントの渡辺正行と歌手の森川由加里。放送時間は毎週月曜日深夜(火曜日未明)25:00 - 26:45(午前1:00 - 2:45)。
概要
[編集]1988年当時の深夜ラジオ番組では珍しかった男女コンビの番組[注釈 1]。渡辺は「(森川とは)今まで全然接点がなかった」と述べ、「TBSは何故この組み合わせでコンビを組ませようとしたのか」と首を傾げたという。しかし、下町育ちで気風が良い森川の喋りと、それを大らかに受け止める渡辺の喋りは相性が良く、のちに渡辺は「妙に馬が合う」とラジオ雑誌の取材に答えている[1]。
番組の看板コーナーは『カム・デ・ギャルソン』コーナー(後述)[2]。あまりにも盛り上がり、他のコーナーが放送出来ない日もあったほどである[3]。
1989年4月3日深夜の最終回を見守ろうとリスナー約100人が赤坂のTBS本社前に自主的に集まった。番組側は急遽TBSホールの使用許可を取ってリスナーを招き入れ、公開生放送に変更して放送した[4]。
主なコーナー
[編集]- カム・デ・ギャルソン
- 番組開始当初はコーナーのひとつであったが、週を追うごとに投稿数が増え、同番組を代表するコーナーとなった[2]。コーナータイトルは、1980年代半ば当時流行していたDCブランドブームの代表格「コム・デ・ギャルソン」を捩った駄洒落である。
- 毎週「お題」が出され(墓石、釣鐘、マネキン人形、電車、つり革、カップルが座っているベンチ、ラブホテルの看板、自分の父親など様々[2][1][4][5])、リスナーはその状況や感想を面白可笑しくレポートする。殆どの封書には、熱心に書き綴られた長文レポートと噛んでいる瞬間の証拠写真が同封されていた。投稿者はカミニストと呼ばれた。
- 比較的「噛みやすいお題」が出た週には、数百通の封書が送られて来たという[1]。そのため、スタッフが一通り目を通すだけでも数日要したという[1]。
- 投稿は渡辺と森川が交替で読み、読んでない方が合いの手を入れるというパターンであった[1]。一通でも多く紹介するため、他のコーナーを休止することも度々あった。また、番組の流れを切らないようにCMの部分を1パートに集めてまとめて流した回もあった[1]。浅香唯もこのコーナーが好きだったという逸話がある[2]。
- BCG体験夜の伏せ字レポート
- ちょっとエッチな体験エピソードを伏字で紹介。または、日常の出来事を思わせぶりに伏字にする[1]。
その他、リスナーの身近に居るおじいちゃんやおばあちゃんのエピソードをネタに紹介していたコーナーなどがあった[3]。
エピソード
[編集]少年隊の錦織一清がゲスト出演することがあった(不定期)。錦織は本番組終了の翌月1989年4月から1991年3月までスーパーギャングのパーソナリティを務めた。
スタッフ
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]TBSラジオ他JRN各局 スーパーギャング 月曜日(火曜未明)枠 (1988年4月11日 - 1989年4月3日) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
関口誠人のスーパーギャング | 渡辺正行と森川由加里 (ナベユカ)のスーパーギャング | 錦織一清のスーパーギャング |