源唱
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正四位下、右大弁 |
主君 | 陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:源定、母:不詳 |
兄弟 | 包、宥、至、精、唱 |
妻 | 橘善基の娘 |
子 | 俊、洪、泉、周子 |
源 唱(みなもと の となう)は、平安時代前期の貴族。嵯峨源氏、大納言・源定の子。官位は正四位下・右大弁。
経歴
[編集]貞観19年(877年)陽成天皇即位に伴う叙位にて従五位下に叙爵。侍従を経て、光孝朝の仁和2年(886年)中務少輔に任ぜられる。
宇多朝では左衛門権佐・左少弁を歴任し、醍醐朝に入った寛平9年(897年)の大嘗祭では右中弁として、悠紀方の行事を務めている。その後、時期は不明ながら正四位下・右大弁に至る。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位上
- 貞観19年(877年) 正月3日:従五位下
- 時期不詳:侍従
- 仁和2年(886年) 2月21日:中務少輔
- 寛平6年(894年) 8月11日:見左衛門権佐[1]
- 時期不詳:従五位上[要出典]
- 寛平8年(896年) 正月26日:右少弁[2]
- 寛平9年(897年) 11月:見右中弁[3]
- 時期不詳:正四位下。右大弁[4]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。