熊谷洋
熊谷 洋(くまがい ひろし、1904年10月17日 - 1992年11月11日)は、昭和・平成期の医師、薬理学者。
東京大学医学部教授。東京大学医学部長[1]。日本医師会副会長。日本医学界会[2]長。東京大学薬学科薬品作用学教室[3]の初代教授。医学界や薬理学界の多くの人材を育てた。旧姓 瀬水[4]。
経歴
[編集]新潟県長岡市出身。旧制新潟県立長岡中学校卒[4]。旧制新潟高校卒業。1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部医学科卒業。1943年(昭和18年)薬理学教室講師のままジャカルタに赴任し、日本占領下のオランダ領東インド・ジャカルタの医科大学(ジャワ高等医学校)で医学の教授にあたる。1946年(昭和21年)復員、同年から1957年(昭和32年)まで東京大学医学部薬学科薬品作用学教室の初代教授を兼任。1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)まで東京大学医学部長[5]。1965年(昭和40年)退官、名誉教授。
1966年(昭和41年)から1976年(昭和51年)まで日本医師会副会長。当時の武見太郎会長の補佐をし、国際的に日本医師会の地位を高めた[6]。
1976年(昭和51年)より1984年(昭和59年)まで日本医学会会長[6]。
脚注
[編集]- ^ “東京大学歴代医学部長”. 2024年4月9日閲覧。
- ^ “日本医学界”. 2024年4月9日閲覧。
- ^ “東京大学大学院薬品作用学教室”. 2024年4月9日閲覧。
- ^ a b 『新潟県立長岡高高等学校同窓会』株式会社旭出版、2010年、98頁。
- ^ “東京大学医学部歴代医学部長”. 2024年4月19日閲覧。
- ^ a b “生体の科学 43巻6号 (1992年12月発行)”. 2024年4月9日閲覧。