片桐 典徳(かたぎり つねのり、1909年9月8日[1] - 1991年9月21日)は、日本の実業家、鉄道実業家。京浜急行電鉄代表取締役社長[1]、会長など重職を歴任。中興の祖と言われる。
長野県[1]下伊那郡神稲村(現豊丘村)生まれ、旧制飯田商業学校(長野県飯田長姫高等学校)を経て、1930年昭和鉄道学校高等科卒業、湘南電気鉄道入社、駅務係として勤務しながら旧制横濱専門学校高等商業科(現:神奈川大学)1934年卒業。大東急解体後、京浜急行電鉄1955年総務部長、1975年5月27日から1981年6月25日まで社長[1]。1975年からエヌケービー代表取締役社長[2]。1980年12月に横浜新都市センターが設立されると同社社長に就任[3]。1981年6月25日から1987年6月26日名誉会長[1]。1988年11月に横浜駅東口振興協議会が結成されると同会長に就任[3]。1991年日本交通文化協会会長[4]。このほか公職として日本民営鉄道協会会長[1]、都市開発協会理事長[1]等を兼任。
- 『京浜急行八十年史』 京浜急行電鉄 社史編集班 編、京浜急行電鉄、1980年3月15日
- 『京浜急行百年史』 京浜急行電鉄 編、京浜急行電鉄、1999年3月
- 『京浜電気鉄道沿革史』 京浜急行電鉄 編、京浜急行電鉄、1949年5月
- 先代
- 初代
| - 横浜新都市センター社長
- 初代:1980年 - 1991年
| - 次代
- 平松一朗
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