牛剣鋒
牛剣鋒 |
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牛剣鋒(ぎゅう けんほう、拼音:Nǐu Jiànfēng、仮名転写:ニウ・ジェンフォン 1981年4月3日- )は河北省保定市出身の卓球選手。世界ランク最高位は2位[2]。
経歴
[編集]1997年のアジアユース選手権ジュニアの部で優勝。2001年の第46回世界卓球選手権のシングルスではベスト8に入り[3]、USオープンでは決勝で梅村礼を破り優勝[4]、ITTFプロツアーグランドファイナルでも2位となった。
2003年の世界卓球選手権パリ大会ではシングルスでベスト8、ダブルスで銀メダル、混合ダブルスで銅メダルを獲得した。またアジア卓球選手権で優勝、ITTFプロツアーグランドファイナルでは張怡寧を破り優勝した[5]。
2004年4月北京市で行われたオリンピックアジア予選で1位となり、アテネオリンピックの出場権を獲得[6]、大会前に大衆汽車からフォルクスワーゲン・ビートルの贈呈を受ける[7]など期待されていたが、郭躍とのダブルスで銅メダルを獲得したもののシングルスではキム・ヒャンミに敗れてベスト16に終わった。この年もプロツアーグランドファイナルで2位となっている。
2005年の第48回世界卓球選手権個人戦では郭躍に敗れベスト8に終わった[8]。同年のアジア卓球選手権団体戦準決勝韓国戦で2敗、中国が優勝を逃す原因となった。2007年、劉志強と結婚し中国国家チームから引退することを明らかにしたが[9]中国超級リーグではその後も活動を続けている[10]。
脚注
[編集]- ^ “ITTF - World Ranking”. ITTF. 2021年10月20日閲覧。
- ^ “World Ranking”. 国際卓球連盟. 2011年5月15日閲覧。
- ^ “2001全日本選手権 女子シングルス 礼と杏、それぞれの壁(前編)”. All About (2002年1月20日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “USオープン2001”. 日本卓球協会 (2001年). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “Interview with Niu Jianfeng”. 国際卓球連盟 (2003年12月13日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “小学生にも(たぶん)わかる卓球オリンピック講座 福原選手が単複代表になったわけ”. All About (2004年4月18日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “VW:アテネ五輪の卓球選手にビートル贈呈”. サーチナ (2004年8月6日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “女子シングルスはベスト4が決定”. バタフライ (2011年5月4日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “「牛姐、再見…!」牛剣鋒が国家チーム引退”. 卓球王国 (2007年10月23日). 2011年5月15日閲覧。
- ^ “超級女4節 強豪ペアが強みを発揮”. バタフライ (2009年6月15日). 2011年5月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- NIU Jianfeng - ITTFプロフィール