田中健太郎 (野球)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県坂戸市 |
生年月日 | 1979年6月7日(45歳) |
身長 体重 | 183 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、投手、捕手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督歴 | |
この表について |
田中 健太郎(たなか けんたろう、1979年6月7日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元プロ野球選手(投手→捕手→内野手)。
来歴・人物
[編集]坂戸市立住吉中学校から長野県の松商学園高に進学。1年からベンチ入りし、2年からはエースで4番となり、秋以降の新チームからはキャプテンとなった。3年夏の第79回全国高等学校野球選手権大会ではMAX145km/hを記録する。
1997年、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け入団。
投手としての将来性を期待されての獲得だったが、入団後まもなく肩を故障し、1999年に中学時代以前に経験のあった捕手にコンバート。さらに翌2000年には首脳陣からの勧めで内野手にコンバートされた[1]。練習の虫と言われていたが、一軍出場の無いまま2002年に戦力外通告を受けた。
巨人退団後は、投手としてのプロ復帰を目指して肩の手術を行い、2005年シーズンは社会人野球のクラブチームである全府中野球倶楽部に所属していたが、同年中に右肘を痛めたことで最終的に復帰を断念し、現役を引退した。
引退後は、2005年よりファイテンに勤務[1]し、その後新潟県でスポーツマネージメント会社「OUT FIELD」を起業し、子供への野球指導や現役選手のマネジメントを手がけている。さらに、2015年から新潟で初となるボーイズリーグのチーム「新潟ボーイズ」を立ち上げた[2][3]。
また、元独立リーガーの千葉司とともに野球チーム・府中ダイアモンドドッグスを立ち上げ[4]。チームの監督を務めた。無加盟のチームだったが、2010年に他クラブチームと合併し、日本野球連盟に加盟するクラブチーム・浦和ダイアモンドドッグス(現:新座ダイアモンドドッグス)となっている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]1997年一軍出場なし
1998年2試合3打数0安打0本0打点0盗.000
1999年5試合11打数0安打0本打点0盗.000
2000年98試合302打数96安打5本46打点2盗.294
2001年一軍出場なし
2002年56試合192打数59安打2本29打点0盗.199
背番号
[編集]- 91 (1998年 - 2002年)
脚注
[編集]- ^ a b 今井貴久 (2010年4月1日). “元巨人・田中健太郎「ファイテン」 / 引退後記”. 日刊スポーツ 2010年4月8日閲覧。
- ^ 元巨人・田中健太郎さん、新潟ボーイズ発足させ監督として活躍中<上>松商学園高から97年ドラフト5位
- ^ 元巨人・田中健太郎さん、新潟ボーイズ発足させ監督として活躍中<下>悔やんだ長男の手術
- ^ “プロフィール”. 究極の野球教室. 2020年11月21日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- スポーツマネージメントのOUT FIELD(アウトフィールド)
- 田中健太郎 (@kentaro.outfield) - Instagram