田中利幸 (馬術選手)
個人情報 | |||||||||||||||
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国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1985年2月2日(39歳) 福岡県福岡市 | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
国 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | 馬術 | ||||||||||||||
種目 | 総合馬術 | ||||||||||||||
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田中 利幸(たなか としゆき、1985年2月2日 - )は、福岡県福岡市出身の総合馬術の選手。奈良県天理市の乗馬クラブクレインオリンピックパークに所属している[1]。
経歴
[編集]中学3年から馬術を始めた[1]。福岡第一高等学校[2]、第一経済大学出身[3]。 社会人になってから障害から総合馬術に転じた[1]。
2011年10月の山口国体の総合馬術で優勝した[4]。また同年の全日本総合馬術大会で2位となっている[3]。
2012年のロンドンオリンピックの総合馬術団体の日本代表に選出[4]。ロンドンオリンピックでは個人48位、団体12位だった[5]。
2014年アジア競技大会では団体銀メダル[5]。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは選考会で落選[5]。
2018年世界選手権では個人15位、団体4位だった[5]。
2020年東京オリンピックの馬術競技では個人34位、団体11位だった[6]。
2024年7月29日、パリ五輪の総合馬術団体に大岩義明、戸本一真、北島隆三とチームを組み、115.80点とし、銅メダルを獲得した[7]。第2種目のクロスカントリーを終えて団体3位だった日本は、北島の馬が馬体検査をクリアできずにリザーブの田中に代わったことで20点を減点され、この時点で5位に後退したが、最終種目では3人とも障害物を落とすことなく減点を抑えてのメダル獲得となった。馬術でのメダルは1932年ロサンゼルスオリンピックの障害飛越個人を制した西竹一以来、92年ぶり2個目で団体は初である[7]。
脚注
[編集]- ^ a b c “ロンドン五輪:馬術代表・田中選手、県庁訪問 副知事が激励”. 毎日新聞 (2012年6月5日). 2012年6月19日閲覧。
- ^ “本校馬術部出身の田中利幸さんの記事が、西日本新聞に掲載されました。”. 福岡第一高等学校. 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b “ロンドン五輪 選手名鑑”. スポーツニッポン. 2012年6月19日閲覧。
- ^ a b “総合馬術で出場の田中選手、奈良県副知事表敬 「人馬ともに最高のパフォーマンスで臨む」”. 産経新聞 (2012年6月5日). 2012年6月19日閲覧。
- ^ a b c d “総合馬術・田中利幸 2倍速で急成長 ウマが合う新相棒「タルマダルー」と運命の出会い”. Sponichi Annex 2021年8月2日閲覧。
- ^ “田中利幸、完走に安堵「達成感があるし、すごく楽しかった」/馬術”. サンケイスポーツ 2021年8月2日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2024年7月29日). “総合馬術、団体で日本が銅 大岩義明「決して障害が得意な馬ではない。よくやってくれたなと思う」 32年ロス五輪の西竹一以来、92年ぶり2個目”. サンスポ. 2024年7月29日閲覧。