田村達三郎
田村 達三郎(たむら たつさぶろう、1858年1月6日(安政4年11月22日)[1] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。小山石炭社長[1]。下野農商銀行、小山倉庫各取締役[1]。小山町長。族籍は栃木県平民[1]。
人物
[編集]東京府平民・田村源平の長男[1]。1874年、田村平八郎の養子となり家督を相続する[1]。銀行会社の重役である[1]。住所は栃木県下都賀郡小山町[1](現小山市)。
家族・親族
[編集]- 田村家
- 妻[1]
- 養子・2代目達三郎(1883年 - ?、前名・夏次郎、娘テイの夫[1]、小山町会議員)[2] - 芳賀郡中村生まれ[2]。篠崎幾四郎の二男[2]。質商を営む傍ら自治公共の事業に意を注ぐ[2]。
- 長女[1]
- 二女[1]
- 三女[1]
- 四女・マス[1]あるいはマス子(静岡、大石光之助の妻)[3]
- 孫[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 下野新聞株式会社編『野州名鑑』下野新聞、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。