白井荘也
白井 荘也(しらい そうや、1935年9月4日 - 2018年3月[1])は元日本テレビ放送網のディレクター、プロデューサー。元日本テレビエンタープライズ常務取締役。元オフィスG (野口五郎プロダクション)社長。元桐朋学園芸術短期大学ステージ・クリエイト専攻教授。
経歴
[編集]成蹊大学政治経済学部卒業後、1959年日本テレビ放送網株式会社芸能局音楽部に入社し、音楽と笑いを融合させた番組を多数作り上げた。1960年代〜1970年代に『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』[2]、『ドリフターズ大作戦』、『カックラキン大放送!!』[3][4]など、高視聴率の音楽番組を製作。その傍ら視聴者公開の特撮番組『突撃! ヒューマン!!』を手がける。また1975年大晦日の『ゆく年くる年』を総合演出。その後、事業局に移り、ミュージカル 『アニー』、そしてマイケル・ジャクソン『バッド・ワールド・ツアー』、巨大オペラ『アイーダ』、ローリング・ストーンズなどの日本公演をプロデュース。その後、日本テレビ・エンタープライズ制作常務取締役、(株)オフィスG (野口五郎プロダクション)社長、桐朋学園芸術短期大学ステージ・クリエイト専攻教授を歴任。2017年9月『マイケル・ジャクソン来日秘話 テレビ屋の友情が生んだ20世紀最大規模のショービジネス』(DU Books)[5]を出版し、87-88年マイケル・ジャクソン『バッド・ワールド・ツアー』日本公演(ソロでの日本初公演)契約交渉の裏話を語った。
前田武彦によると、ジャズピアノの腕前はセミプロ級だったという[6]。
担当番組
[編集]- 茶の間のリズム (1959年)
- 味の素ホイホイ・ミュージック・スクール (1962年)[2]
- ジャニーズナインショー (1965年)[2]
- ジャニーズセブンショー (1966年)
- あなた出番です! (1966〜1969年)[2]
- ドレミファ学園 (1969年)
- ドリフターズ大作戦 (1969年〜1970年)
- ドリフのドパンチ!学園 (1970年)[2]
- 日曜日だよドリフターズ (1971年)[4]
- ハッチャキ!!マチャアキ (1971年〜1973年)[2][4]
- 突撃! ヒューマン!! (1972年)
- マチャアキのシャカリキ大放送!! (1973〜1974年)
- マチャアキのガンバレ9時まで!! (1974〜1975年)
- ゆく年くる年 (1975年)
- カックラキン大放送!! (1975〜1981年)[3][4]
- 日曜お笑い劇場 (1981年)
- 『日本テレビ音楽祭』、『日本歌謡大賞』(プロデューサー・審査員として)
担当公演
[編集]- ミュージカル 『アニー』(1986年)
- マイケル・ジャクソン『バッド・ワールド・ツアー』 (1987年)
- マイケル・ジャクソン『バッド・ワールド・ツアー』② (1988年)
- 巨大オペラ『アイーダ』 (1989年)
- ローリング・ストーンズ (1991年)
著書
[編集]- 『マイケル・ジャクソン来日秘話 テレビ屋の友情が生んだ20世紀最大規模のショービジネス』 DU BOOKS、2017年9月、 ISBN 978-4866470337
脚注
[編集]- ^ https://twitter.com/blogdexjp/status/986645337145098240
- ^ a b c d e f 『テレビ夢50年 番組編② 1961-1970』(発行:日本テレビ放送網)、2004年
- ^ a b 『カックラキン大放送』読売新聞社(発行:日本テレビ放送網)、1980年
- ^ a b c d 『テレビ夢50年 番組編③ 1971-1980』(発行:日本テレビ放送網)、 2004年
- ^ 『マイケル・ジャクソン来日秘話 テレビ屋の友情が生んだ20世紀最大規模のショービジネス』(発行:DU Books)、2017年
- ^ 『マエタケのテレビ半生記』(いそっぷ社、2003年)p.67